laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

フルート。

  念願かなって娘が手にした真新しいフルート。
 恥ずかしながら、というか門外漢なのだから当然とも思うけど、全く知らない国産のメーカーだった。クラシック音楽の本場はヨーロッパなのだから、本物は舶来品が一番じゃないの?と、妙にオヤジくさいことを思った。
 楽器の表面に記された刻印は「ムラマツフルート」。やけに平凡な名前じゃないですか。

 この4月から、娘を指導してくれている若く美しい清楚な女性の先生からのお薦めの楽器だった。先生が家に置いていった小冊子を見て、浅はかな自分の考えを180度変えた。
 今年3月に発行された「ムラマツフルート創始者 村松孝一 没後50年・メモリアル 礎」というタイトルの小冊子は、日本のフルート製作のパイオニアである村松孝一の伝記だ。明治時代の1898年に生まれた村松は、当時国内にプロ・アマ合わせてもわずか20人ほどのフルート人口しかいなかった時代の1923年、この道に入った。入ったといっても、全くの素人による〝工作品〟に当然買い手は容易につかない。1年に1本、あるいは2年で1本売れるか売れないかという状態がしばらく続き、映画館の伴奏者やポスターの絵描きなどで糊口をしのいだ村松は、特に最初の10年間は努力と苦労の連続だったが、ほぼ20年をかけて事業を軌道に乗せた。
 幼少のころは画家を目指した村松は、戦争を機に軍隊に入り、軍楽隊に入ったことで音楽との関係を深めたが、相当の変わり者だったに違いない。小冊子の中で、フルート製作の動機は失恋だったと打ち明けている彼は、少年のころの失恋を引き合いに出し、「人々の人世を楽しく、美しくすることに協力しよう。そんな考えから(フルート製作を)スタートした」と書き残している。なんともロマンがあるじゃないですか。
 そんな物語が隠されていたムラマツフルートは、今では世界各地の演奏家らに愛用され、「世界のムラマツ」と呼ばれているらしい。
 縁あって自分の娘が奏でることになったこの楽器を見る目がすっかり変わりました。いやぁ、いろんな世界があるんですね。
 
 感動の余韻に浸っていたら、妻が少々あきれた口調でこう話してきた。「ほんのちょっとなんだけど、早速、壊しちゃったみたい。ケースに入れる時入れ方が悪かったらしいの.......」。
 もはやサンタは見てないけど、村松孝一さんが天国で渋い顔しているぞ、って娘には話すつもりだ。 


 【注】文中、一部敬称略。村松孝一さんは1960年、享年62歳で亡くなりました。会社名は「株式会社 村松フルート製作所。所沢市