laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

同棲のすすめ。

 最近とんと聞かなくなったが、今でもあるんだろうなぁ。

 成田離婚

 新婚旅行で海外にハネムーンに行った新婚さんが、だらしないとか頼りにならない、理想と違ったなどが原因で、帰国した途端に離婚してしまうケース。バブル経済の時代、特に女性が男性に愛想を尽かして三行半を突きつけるといった事例が増えた。

 この現象がマスコミに盛んに取り上げられていた1990年代後半に結婚し、妻と二人、笑いながら呆れ返っていたことを思い出す。

 成田離婚はともかく、「こんなはずじゃなかった」とか「こんな人だとは思ってもいなかった」「結婚前とは違う人になってしまった」という、男女双方からのため息交じりの声は絶えないような気がしている。

 結婚したからといっても、そもそも夫婦は他人。自分の期待を裏切られたと思うのは、翻って自分の見る目がなかったからではないのか?

 成田離婚のようなことが起こってしまうのは、互いをよく理解していないからだと思うのです。結婚前、どれほどに相手のことを知ったのか。そこが大きなポイント。安易に結婚を決断したがゆえの結果だともいえないだろうか?

 育った環境が違う他人が一緒に暮らしていくのは、言葉で言うほどたやすいことではない。昔の人なら、ここで我慢、という精神論が出てくるのだろうが、現代では通用しない。

 そこで、これからの若い人たち(若くなくてもいいですが、結婚を意識している人たちという意味で)には、ぜひ、同棲をお薦めしたい。別に、誰かに頼まれたわけではなくて、勝手にお薦めしているだけですけど。

 一緒に暮らすことが一番手っ取り早く相手を知ることにつながる。その人と結婚しようと考えているのならなおさら。状況が許さないようなら、暮らさなくとも、彼、彼女の部屋で何日か一緒に過ごすことを繰り返すとか、泊まりで旅行に出掛けるとかすれば、楽しい事ばかりでないことがはっきりと見えてくるはず。少なくとも、成田離婚なんてことにはならないでしょう。

 知り合いの若いカップルがこの11月に結婚する。彼と彼女は、確か1年近く一緒に住んでいる。ある時、彼女に聞いた事がある。

 「結婚前に一緒に住んで良かったんじゃない?」

 「えぇ、とっても良かったです。いいことも悪いこともすべて見えた。考え付くけんかはすべてしたかな。でも、そのお陰で、お互い相手をよく理解できるようになりました」と、彼女。

 結婚を意識したカップルが目指すべきひとつの形が、この2人の行動にあると思う。同棲というから何か不道徳的な響きがあるが、共同生活と言葉を置き換えれば分かりやすい。

 「お父さん、お母さん、実は今、彼と共同生活しているんだ」

 近い将来、自分の娘からこう告げられる日が来るのだろうと、早くも待ち構えている。