laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

Vol.160 素朴な疑問(2)

 何でいつもこうなんだろう?

 農業問題って。

 もっとシンプルに考えられないのだろうか?

 今度は、環太平洋連携協定(TPP)絡み。貿易自由化のために影響を受けるとして、またぞろ、連日のように報じられているニュースとして農業問題がクローズアップされている。

 しかし、今回ばかりは寒気を感じてしまう。好きか嫌いかは別に、政治改革を期待されて登場した新政権が、これまでの為政者たちと変わりない「農業強化」だの「農業構造改革」だの「農業の国際競争力」だのいろんな理由をこじつけては、〝農業改革〟を迫ろうとしている。

 改革の意味があまりにも違う、と思うのだ。

 そもそも、単純に、どうして日本の農業に世界で通用するような競争力が必要なのか?こうした論調を主張する人たちの最大の勘違いは、農業を食糧としてではなく商品としてとらえている点にある。

 もっと噛み砕いて言えば、自動車やテレビがなくても人間は生きていける。でも、食糧がなくなれば人間は死に絶える。

 先進国の中でも自給率が最低レベルにまで下がってきた現状で、その向上を目指す抜本的な農業政策さえ進めることができずに、生きる糧を世界の貿易の枠内で取り扱うことはあまりに危険だ。

 安全だから、地元産だからといくら喧伝したところで、消費者の大半は、ことのほか危険性がなくそこそこおいしければ、国産より安い外国産の農産物を購入するのは火を見るよりも明らか。最悪の場合、生産者の高齢化が進み担い手不足の生産現場は、一気に崩壊する恐れさえあると思う。我々が住む東北にとって、対岸の火事では決してない。

 「自分たちの食べるものは自分たちで作り、消費する」→「食べ物(農産物)は可能な限り他国と競争する枠組みから外す」

 こうした原則に立ち返って、農業政策を進めたとしたら、真の意味での地産地消は実現する、と信じている。

 実際、それを実現している、あるいはその方向性に向かっている例は、世界にある。競争という果てのないエンドレスゲームに、日本人の命をかけるほどの愚かな大ばくちを仕掛けるくらいなら、競争とは一線を画した理想的な農業を展開している海外事例の思想や哲学、知恵をこそ最大限輸入すべきではないのか?

 ブラウン管オヤジさんが10日のブログで書いていた「国益ときたか」(http://flat.kahoku.co.jp/u/14inch/kU3uRsri2xlwEtna14qc/) に同感する。コメントを受け付けない方なので、ここに記す。