laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

走りながら、考えています。

 「近い将来、必ず大きな地震がやってくる。有事に備えたネット対応の仕組みを考えておかないといけないね」

 東日本大震災が発生するわずか前、同僚とこんな会話を交わしていた。何をどういうふうに、どんな手順で行うのかといった具体的作業のペンディング状態から、大震災は有無を言わさず、未知の実戦へとわれわれメディア局部員を文字通り放り込んだ。

 出だしで、いきなり難題に直面した。河北新報社のニュースサイト「コルネット」が正常に稼働しない。速報を流すことができない。切羽詰まった状況を救ったのは、ここ「ふらっと」の場だった。被災を免れて問題なく動いていた。日常の出来事などをブログでつづるSNSの舞台が、初めて〝ニュース発信サイト〟となった。当日夜、次々に送り込まれてくる大量のニュース記事、写真を、流れ作業で配信し続けた。

 全域のライフラインが完全に遮断された状況で、翌日からは、最も必要とされているだろう交通や食料、支援などの生活関連情報に焦点を当て、紙面発行に先駆けてどんどんネット上に流した。

 コルネットはすぐに回復した。それを受け、「ふらっと」では、安否確認の掲示板と生活情報の伝言板を開設し、多くの被災者とその関係者に役立ててもらうと同時に、全国から励ましの声を求める「応援コミュニティー」も立ち上げるなどした。1つのブログに対し、1日のアクセス数が300もあれば多い「ふらっと」で、9000を超える数字をはじき出した日もあった。

 こうしたネット対応と並行しながら、ツイッターを最大限活用しての情報発信に早い段階から踏み切った。「ふらっと」では大震災前、、サイト内の全体公開ブログや河北新報社のニュースなどを中心に紹介するデスクワーク中心の「つぶやき」を行っていた。緊急事態となり、スタッフの1人は街中に飛び出し、携帯から、「地域レポート」と題した現場の状況を逐一つぶやき、夕刊編集部もこれに呼応し、記者の視点から街中レポートをつぶやき、ブログでも積極的に発信し始めた。

 すべてが初の試みだった。運用規則などは日ごとに変わっている。多くの被災地で今なおライフラインが復旧せずネットにたどり着くことさえできない状況で、「本当に困っている人たちに、どれほどの有益な情報を送ることができているのだろうか?」という疑問を絶えず抱えている。それでも、「昨日より今日、今日より明日」の思いで、作業内容をブラッシュアップさせてきたつもりではある。

 もちろん、見落としている点は多岐にわたるはずで、今後も、考えうる限りのできる事を迅速にやっていかなくてはいけない。

 大震災から2週間。復興までの道のりはまだまだ遠い。その過程で、われわれ部員がネットを駆使して広くお役に立つことが出来る事は少なくないはずだと考えている。

 っと、こんな状況でも相変わらず偉そうな語調でつらつら書きましたが、作業をこなしているのは部員全員。みんなの総力(走力か?)で走り続けております。

 叱咤激励、お願いいたします。