laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

No.250 いつか........、きっと。

 休日だった昨日、まとまった時間が取れたので、仙台新港近くにあり、ちょくちょく通っていたサーフショップに足を運び、被災の後片付けを手伝った。

 震災後間もなく、オーナーから「大丈夫、元気で生きているから」という連絡をいただいていたので安心していたが、かなり気になっていた。

 確かに、大丈夫だった。

 それにしても、よく生きていた。



 サーフショップは、仙台新港南防波堤から1キロも離れていない。周囲の家家、工場は見るも無残な状況で、津波に流されて命を落としていたとしても不思議ではなかった。海から見て、ショップが近くの民家や工場の後ろに位置していたのが幸いだったようだ。

 オーナーはその日、車で避難し損ね、数十メートル先で押し寄せる津波を目撃し、ショップに駆け込み、一気に3階部分の屋根まで登った。足元をごう音をたてながら流れる濁流が迫り、目の前で家やら車やら人々が次々に流されていった。寒さと恐怖に震えながら、屋根の上で一晩を過ごしたという。


 「俺、よく生きてたよ。本当に。........、死んでもおかしくなかった」

 そんなことを言うオーナーの車に乗って、後片付けが一段落してから海へと向かった。

 いつも車を止めてビーチに向かっていた高台の駐車場には入ることができず、迂回して見た海とその周辺の光景は、荒野以外の何物でもなかった。氾濫した七北田川は蒲生干潟を水没させ、別の河口を本流河口の北側につくりだしていた。振り向けば、工場が潰され、家屋は跡形もなく、車が至る所に転がっていた。

 そんな悲惨な光景の向こうで、何事もないかのように、沖から押し寄せる波がきれいに割れていた。



 サーフィンを始めてから25年以上通い続けた思い出のビーチ、仙台新港。

 今はまだ、海に入る気にはならないが、「必ず戻ってくるぞ!」と誓った。

 海に責任はない。

 砂浜に、笑顔が戻ってくるのはいつの日か。