シンプル is ベスト。
小学6年の娘が、おととい3月31日、小学校を卒業した。
このご時世。例年通りの卒業式というわけにはいかず、終業式の延長で開かれた。
高台にある我が家(賃貸ではりますが)の地区は、震災当初にライフラインが断たれたぐらいで、被災というにはおこがましい程度の被害状況だった。なので、全体的な自粛ムードの中で一律に簡素な卒業式に向かうという流れに、関係者間で多少の違和感が漂っていた。
校長先生から娘たち卒業生1人ひとりに卒業証書が手渡されたぐらいが、卒業式らしいといえばらしかった。
簡素だった式は、だがしかし、ある意味、素晴らしい式だったと思う。
見た目に簡素なことではない。セレモニー特有の“無駄”がすべてバッサリと省かれ、必要最低限のあいさつが、ストレートに心に響いた。
今回は緊急的な措置だったが、こうしたセレモニーの在りようは継承されていくべきなのではないかと思うのだ。
余計な事を延々としゃべくりまくる“お偉方さんたち”の登場は、やはり平和すぎるところにあるのかもしれない。
このご時世。例年通りの卒業式というわけにはいかず、終業式の延長で開かれた。
高台にある我が家(賃貸ではりますが)の地区は、震災当初にライフラインが断たれたぐらいで、被災というにはおこがましい程度の被害状況だった。なので、全体的な自粛ムードの中で一律に簡素な卒業式に向かうという流れに、関係者間で多少の違和感が漂っていた。
校長先生から娘たち卒業生1人ひとりに卒業証書が手渡されたぐらいが、卒業式らしいといえばらしかった。
簡素だった式は、だがしかし、ある意味、素晴らしい式だったと思う。
見た目に簡素なことではない。セレモニー特有の“無駄”がすべてバッサリと省かれ、必要最低限のあいさつが、ストレートに心に響いた。
今回は緊急的な措置だったが、こうしたセレモニーの在りようは継承されていくべきなのではないかと思うのだ。
余計な事を延々としゃべくりまくる“お偉方さんたち”の登場は、やはり平和すぎるところにあるのかもしれない。