laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

思いやり? う〜ん、なんか違うなぁ〜....。

 仙台市津波災害ボランティアセンター(宮城野区)で出会った、東京からの女性ボランティアが先日、仲間と連れ立って再来仙した。被災地でのボランティア活動と、“ニーズ調査”が目的。地元に知り合いが少ないからという理由で、後者の目的についてアドバイスを求められた。

 彼女が所属するボランティア団体は、社会人や学生ら若い人たちで構成され、複数の児童養護施設で子どもたちと遊んだり、勉強を教えたりする活動を、4年ほど続けてきたという。東日本大震災が発生し、「私たちも、被災地の役に立ちたい」と考え、彼女ら何人かが先発隊として同ボラセンに来て、ボランティア活動しながら被災地・仙台の様子を視察していった。

 帰京し、仲間たちと、これからの活動を検討し、「被災地の子どもたちを、夏休みにディズニーランドに招待しよう」というプランを思い付いた。

 彼女たちの説明によると、①旅行会社が既に企画している同様の招待ツアーに協力し、現地で子どもたちをサポートする②被災地で、プランを歓迎してくれる小学校や各種団体などがないかを探す③被災地でのボランティア活動にこれまで以上に力を入れ、そこからのつながりから、自分たちのプランを受け入れてくれる人たちを見つける.....などを考えている、という。

 相談を受けたこちらは、単刀直入にこんな事を話した。

 「ディズニーランド招待のプランは将来的な目標とし、まずは自分たちが現地に入り、どこか被災地で困っている子どもたちとのつながりを探すのが先だと思う。そのつながりを深めるには時間がかかるはずだし、夏休みの企画自体、実現が困難だろう。既に、各被災地で子どもを相手にしたボランティア活動はさまざまに行われているようだから、そうした団体に協力しながら、つながりとか絆を深めていけばいいのではないだろうか?」

 「被災地、被災者のために何かをやってあげたい」

 そういう思いは歓迎されるべきだし、当事者にとってはありがたい話に、一見“聞こえる”。

 だがしかし、どんな事を、誰が、どうやって、いつ、どのくらい.....といった具体的話になると、この手の話は急にトーンダウンする。

 他人に対する思いやりを行動に移すには、まずは、思いやりの対象になっている当事者との交流が欠かせないのではないか?な。

 彼女たちは、100人くらいの子どもたちを受け入れ、1人1人にボランティアを付けて1泊2日の日程で、ディズニーランドでの遊びを中心に子どもたちに楽しい時間を提供したい、と希望している。

 でもね.......。

 話を聞きながら、こんな光景を頭に思い浮かべた。

 嘆き悲しんでいる子どもの前に突如現れた優しそうなお兄さん、お姉さんたちが、「みんな〜、ディズニーランド行きたいですか〜?行きたかったら、私たちと一緒に行って楽しい時間を過ごしましょう〜!」などと笑顔いっぱいで呼び掛けている。

 う〜ん、何だかなぁ。

 その後、新たな進展があるのかどうか。

 彼女からのメールを待っているところだ。