laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

さよなら、ニュートンさん...。

 また1人、大切な人がこの世を去った。

 「大切な人」というといかにも親しく頻繁に会っていたような印象だが、かれこれ10年近く、彼とは会っていなかった。

 劇作家で、仙台の劇団「OCT/ PASS」を主宰していた石川裕人さんだ。今月11日、がんで亡くなった。享年59歳。まだまだ若い年齢だった。

 2001年から2年間、学芸部(当時、現生活文化部)の演劇担当だったころ、最もお世話になった演劇人の1人だった。昔から彼を知る人たちは、親しみを込めて「ニュートン」と呼んでいた。

 職場に配属されるまで演劇のイロハさえ知らないど素人のこちらに対し、石川さんはとにかく何でも教えてくれた。当時、仙台市若林区石名坂にあったビルの半地下に自前の芝居小屋を持ち、石川さんらメンバーはそこで連夜稽古を続け、舞台公演に備えていた。

 今はほぼ死語に近い“アングラ劇”の匂いをプンプンに放った芝居小屋と、石川さんが脚本、演出する作品が妙にマッチングしていて、その奇妙な世界にかなりはまった。

 公演ごとに取材と称しては出向き、上演後のお決まりだった打ち上げの酒席を何より楽しみにしていたのはほかならぬ自分だった。

 酔うとますます饒舌になり、演劇のことを真剣に話す石川さんの姿はとても印象深かった。

 劇評なるものを公演のたびに書いていたこちらは、素人のくせに、生意気な事をたくさん書き連ねた。正直、石川さんが機嫌を損ねることも多々あったと思う。

 しかし一度として、石川さんから恨みつらみの類を言われたことは一度もなかった。

 とにかく、大きな器だった。

 演劇から離れ、全くジャンルの違う分野に異動となり、それまでの関係性は途切れてしまったが、年を重ねるごとに活躍されていた姿は紙面を通して知っていた。

 「あぁ、そういえば、石川さんの新作、今度上演だなぁ。行こうかなぁ...」などと思いながら今に至り、この結末...。

 真面目に真剣にバカバカしい劇をたまにつくって上演する姿勢に、子ども心と遊び心を忘れない茶目っけある大人の姿を見ているようで、とても好きだった。

 もちろん、それは彼の作品のほんの一部で、文学的にも演劇的にも意味深い作品は少なくない。

 そういえば、当然のことかもしれないけど、茶化し半分の批判を含めても、当時、他人が話す石川さんの悪口を聞いた記憶が全くない。とても、人望があったのだと思う。

 「劇都仙台」の重鎮の一人でもあった石川さんはいなくなってしまったが、100本以上を数えるオリジナルの戯曲は今後もずっと残る。

 これから、いろんな場所で、いろんな演劇人たちが、石川さんの書いた脚本をそれぞれの思いを持ってそれぞれの味付けをしながら舞台に登場させ、再び花を咲かせていくことだろう。

 合掌。