laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

上りかけの〝階段〟。

 報われない努力というものがある。

 今年のクリスマス・イブ。

 街中にロマンチックな雰囲気が漂う中、中学2年生の娘がしばし号泣していた、と妻が

言っていた。

 失恋とかそういう話ではなく...(親としてはそっち方面のほうが興味あるんですけど(^_^;)

 この日出場した管弦楽コンテストの県内予選で、フルートを奏でる娘は県大会出場を逃

した。

 ずいぶんと前から練習を重ね、〝出稽古〟にも精を出していた。本番のステージではち

ょっとしたミスがあったが、評価はそれほど悪くはなかった。

 ある程度の手ごたえはあったらしいが、娘を含めてフルート奏者は全員県大会への切符をつかむことができず、ほかの楽器を演奏した生徒さんたちが次なるステージへと駒を進めた。ほかの人たちの演奏が、娘の演奏を上回った、ということ。

 コンテストに向けて連日コツコツ積み重ねてきた練習が足りなかったのかもしれない。これまでにも何度かコンテストに出場している娘は、時に嬉しい結果だったり、時に残念な結果だったりを味わってきた。

 でも、号泣したのは、恐らく今回が初めてだったと記憶している。

 とても、悲しかったのだろう。悔しかったのだろう。残念だったのだろう...。

 今回は以前に増して頑張っていただけに、気持ちを察する。

 ただ、同情したけど、こちらはそれほど悲しくもなかった。

 「あぁ、やっと本気になってきたんだなぁ」などと、号泣するほどに感情を高ぶらせた娘の姿に、微笑ましくも感じたのだ。

 嬉しい結果に喜び、悲しい結果に涙する。

 この子ぐらいの年で素直に感情表現できるということはつまり、事にあたる真剣味がある程度あるということでもあるんだと思う。

 この夏関わった2度のインターンシップ事業と、震災後からの情報ボランティアの活動で、今年は特に多くの学生さんたちと出会い、ともに学んできた。彼女、彼らの言動、態度、感情表現などに触れて、そうした思いは自分の中で確信めいたものになってきた。

 残念な結果は二度と取り戻せない。だがしかし、その受け止め方如何で、その後の道をうまく切り開いていけるのだと思う。

 目の前に広がる道はまだまだ長いのだから。

 報われない努力はあるが、無駄な努力というものはない。

 そう、信じたい。