laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

今どきの修学旅行。

 中学3年生の娘が、昨日から2泊3日の日程で東京方面に修学旅行に行っている。

 本日は「東京ディズニーランド見学」だというから、みんなで大いに盛り上がっているんだろうなぁ。

 30年以上も前の自分たちの修学旅行に比べると、いろいろと様変わりしていて興味深い。

 当日の朝早くに家を出ていった娘の背中には、小さなリュックが1つ。この日ためにと買っておいた大型の旅行ケースがない。前日、まとめて目的地に送られたのだという。ホテル間の移動時も、宅配便の業者さんがすべてやってくれるらしい。

 宿泊先のホテルでは、2人1組で寝泊まりするらしく、大部屋がいっさいないのだという。っということは、まくら投げもなければ、大浴場にてみんなでワイワイガヤガヤの裸のお付き合いもない。家では個室が当たり前の今の時代をとても反映しているように思う。

 訪問先はいろいろあるらしく、選択制が採用されている。昨日の夜のオプションは、「東京ドームで野球観戦」「劇団四季のミュージカル鑑賞」「屋形船体験」...。人気が高いコースは抽選なのだという。子どもたちの嗜好に合わせているんでしょう。

 期間中、父母のもとには、学校側から逐一メールが送られてくる。「今、新幹線に乗りました」「無事、東京に到着しました」「ホテルに着きました」...。離れていても、娘たちの行動が手に取るように分かる。安心といえば安心なんですが...。

 っと、まぁこんな具合。

 面白いと思うのは、細々した内容が時代に合わせた形で変っているのに、修学旅行の目的地は変わっていないということ。

 自分たちが中学生のころに思い描いていた「東京」と、娘たちが抱く感覚はかなり違うはず。東京はもはや遠いところでもなんでもなく、いまだ「憧れ」的な要素はあるのかもしれないけど、あまりにも身近な場所になっている。

 でも、東京。なんでなんでしょ?

 同じような金額を払うのなら、むしろお隣の国・韓国への海外修学旅行のほうが、多感で、これからの国際社会を生きていく子どもたちには有益なのではないだろうか?などと思っている。

 まぁ、子どもたちにとってみたら、「どこに行った」ということより「みんなで旅行した」という経験のほうが大事なんでしょうから、東京だろうがソウルだろうがあまり変わらないのかもしれない。

 自分の経験を思い出してみても、どこに行ったのかの記憶はあいまいで、友だちの顔だけが浮かんでくる。

 親としては、「楽しかったよ」と笑顔で帰宅してくれればそれでいい。