laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

Vol.60 「でも.....」

 単なる気のせいなのか。長らく思い続けてきた事がある。

 正解があるのかどうかさえ分からない。あったとしても多分、どうしようもなく瑣末な事なのかもしれない。でも気になる。理由と原因を説明できる方がいれば、教えていただきたい。

 日本人が英語を話す時、「but」を多用する傾向だ。「しかし」とか「だが」「でも」を意味するこの単語を、非常に多く耳にするのは気のせいなのか?これが疑問点です。

 会話例
  A君:今回のW杯はかなり盛り上がっているよね。見てるだろ?
  B君:日本もあそこまで勝ちあがってさぁ、かなりすごいよな。☆でも☆夜遅いんで毎回毎回はさすがに見ないけど。☆でも☆結構頑張って見ているよ。なんたって面白いからな。
  A君:☆でも☆俺は夜更かしして毎回見てるよ。世界中が熱狂しているわけだし、サッカーファンとしては見逃せない。☆でも☆次の日がつらいけどなぁ....。

 日本語で書いた、☆の部分がbutの登場個所。全くの私見だが、日本人のbutの多用の原因は、日本語による思考経路が原因なのではないだろうか。

 一文でスパっと言い切らない。言い切った後でも、それをフォローするような文言を加えたがる。そんなことを、特に英語で話すことに慣れていない日本人に対して感じることが多い。分かりやすく言えば、説明調でくどく、何か後ろ向きな気がするんです。

 どうなんでしょう、これって?

 ちょっとバカバカしい話かもしれないと承知しながら、皆さんの感想を伺います。