laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

個人主義。

 
あれほど話題になったKYなる新語は完全に消えたようだが、「空気が読めない人たち」の増殖は一向に止まっていない。単なる気のせいではないと思う。日々、現象の一端を肌で感じている。

 KYであるかないかの判断は、本人以外の周りの視点によるところが大きい。何事にも寛容な人たちの目には、ちょっと困った人と映るが、狭隘な人たちには迷惑者以外の何者でもない。この線引きが非常に難しい。こんなテーマをまじめに考えれば考えるほど、自分自身がやけにちっぽけに見えてくるから困るけど、言いたいことは言っておこう。このさいだから。

 個人主義の延長、あるいは同列にKYはあると考える。集団主義だと指摘されることの多い日本人は、特に近年、そこからの脱却を目指して個人主義を強く意識してきた。自分の浅い人生経験を踏まえてそう思うんです。群れない、媚びない、流されない、というある種格好よさの象徴として個人主義が喧伝されてきた。その実践過程で、個人主義=自分主義の意味合いにシフトチェンジし、他者への配慮に欠けた自分をよく省みない向きが強まった。利便性や効率性、経済性などより機能的側面を重視する社会のシステムの影響は当然、見過ごせない。行動や交流、興味などの対象が限りなく狭い範囲に向かっていくよう、結果的に誘導してきたシステムだったと言っても過言ではない。

 かなりいやらしく小難しくなってきましたが、要するに、自分勝手な個人主義が多いんじゃないか?、ということです。それとは対極的に、そうした傾向を巧みに読み取り、何事につけかかわりたがらないというひどく身勝手な消極性の蔓延についても同時に指摘しておきたい。

 こうした人たちに共通しているのは、リアルな対人関係を築いていくのが下手だということに尽きると思う。おそらく、本人もそれを自覚しているのだろうが、1歩を踏み出せない、あるいは、踏み出そうとしない。

 誰もが、自分ひとりだけでは生きていけないという自明の理に思い至れば、ぬるま湯のような殻の中に閉じこもってばかりいられないのだが。どうだろう?