laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

ルームシェア。

 学生のころ、オーストラリアに遊学して感心した事のひとつが、ルームシェアのシステム。

 文化、といっても過言ではないほど一般化していた。聞くところによると、今でもそうらしい。

 一軒家を、数人で借りるという仕組みだ。経済的ゆとりがない学生ら若者の間で重宝されている。誰か1人がシェアリーダーとなって、まずは1軒を借り、部屋数に合わせて人数を募ったり、大家がすべて取り仕切ってやるなど運用はいろいろだが、とにかく、集まった人数で家賃を分割する。

 高校を卒業すれば自宅を出て自活するのが当たり前のオーストラリアでは、家賃出費を安くあげるにはルームシェアが効率的。縁あって自分が最初に転がり込んだシドニー郊外の家は、ルームメートが女性限定という規則があったが、場違いながら1週間ほどお邪魔になった。二十歳そこそこの日本人男子など、オーストラリアの同年代男子に比べればシドニーの女子たちにはひよっこの部類。優しく接していただいたが、異性の男としては全く相手にされなかった。まっ、とにかくこの家が1軒目で、2軒目はイスラエル人のカップル2組との奇妙な5人暮らしだった。

 全く知らない者同士が一つ屋根の下で暮らすのだから、一定のルールが必要になる。ルールを守れないようなら、追い出されることもある。友達にはなれない人もいる。仲良くなれる人もいる。頻繁に恋人を連れてくる人もいるし、ゲイもいる.........と、いろいろな出来事、トラブルがある。でも、かなり面白い。異国という興味もあったからだろうが、このシステムは嫌いではなかった。狭いアパートで1人寂しく過ごすより、友達ではなくとも広い家に誰か話のできる人がいることは何かと心強く、安心感がある。

 ところが、日本では全く一般化することがない。

 最近、都会を中心にその動きがあるようだ。「畠山茂陽@ふらっと」さんが9月19日のブログ「シェアハウス」(http://flat.kahoku.co.jp/u/flat05/M7DP308oZXOLdsKYCJ2F/)で、そうした動きを紹介していた。興味深い!でも、まだまだ、なんだろうなぁ。

 っていうか、日本では、こうした動きはそれほど急速に広がらないと思う。オーストラリアと日本の住環境の違いといえばそれまでだが、もっと根源的なところで、違うのだ。いい大人が親と同居しているのが半ば許されている社会風土や他人と上手にコミュニケーションをとることができない人たちの増加など、ルームシェアが浸透する土壌そのものが少ない。難しいなぁ、というのが実感です。

 畠山さんが紹介している、空きビル再生を目指すシェアハウスのほうが、日本ではより現実的な動きなのかもしれない。

 そういえば、秋田市内中心部でも知り合いのクリエーターさんたちが、その方向で活発に動き出している。