laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

〝アッシー〟な親たち。

 女子に都合よく、送り迎えのためだけに重宝がられていた男子が、ひところ、アッシー君と呼ばれていた。

 決してボーイフレンドにはなれない人のいいアッシー君。利用されているとも知らず、いや知っていても気にするそぶりさえ見せず、女の子の言うがままにせっせと車をまわしては、彼女たちに尽くしていた。

 草食系男子なんて言葉があるくらいだから、今でもそんな尽くすタイプの男の子たちはたくさんいるんでしょうねぇ。ご苦労さんなことです、全く。

 アッシー君ならぬアッシー親が少なくない気がしている。

 bjornさんが16日に書いていた「ある日の小学校前」(http://flat.kahoku.co.jp/u/ja7rhj/AcDLO8IgMj4x6UC92ZXz/)を読んで、確信した。住んでいる場所や環境によって人それぞれだとは思うのだが、安全とか安心とかいううわべの理由だけで必要以上に子どもに尽くしすぎている親っていませんか?

 学校や塾、習い事、遊び場にさえ、親が子どもを車で送り迎えしている場面に出くわすとそんなふうに思うんです。

 最近驚いているのが、自宅からほんの百メートルぐらいの幼稚園バス集合場所に、雨の日は必ず幼子を車で乗せて来る若いお母さんの姿。住宅地だから、車の心配なんてないんです。子どもたちが雨に濡れるのが心配なのでしょう。

 別にいいんですけど、でも、なんだかなぁ〜。

 「雨、雨ちゃぷちゃぷうれしいなぁ〜」なんて歌いながら、手をつないでそこまで歩けばいいんじゃないの?違います?

 子どもが安易に、親の送り迎えを期待してはいけない。タクシーじゃないんだから。親は子どもに、「自分の足で行きなさい」って言ってあげるのも教育だと思う。

 かくいう自分は、先日、国分町で飲んだ帰りの深夜、降り立った駅にタクシーが見当たらなかったので自宅まで徒歩1時間。雨の中ずぶ濡れとなり、「こんな時間まで飲んでいる俺が悪いんだな」と、やけに反省した。時に送り迎えをしてくれる妻の善意にあらためて感謝した次第。いつも当たり前に送り迎えしてもらっていたら、感謝なんて気持ちを抱かなかっただろう。

 親が子どもの運転手に成り下がってしまってはいけない。