laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

共働き。

 小学生のころ、両親が外で働いている子どもたちは「かぎっ子」と呼ばれ、なんとなくかわいそうがられていた。

 この夏、連日職業訓練校に通っていた妻が、めでたく就職して我が家夫婦の共働き状態が1ヶ月ほどになる。文字通り「かぎっ子」である娘は特段不平不満を言わない。一人っ子だから多少の寂しさはあるのだろうが、これはこれでしょうがない。男親の側は、そう考えている。

 育児が一段落ついたころから不定期で働いてきた妻なので、実は娘には共働きに対する免疫が早いころからある。ただ、今回の妻の仕事はフルタイムの正職員。結婚して子どもが生まれるまで3年間続いた生活スタイル+娘、の全く新しい状況なんですね。

 働く両親の姿をどんな目で娘が見ているのか、その真相は分からない。我々夫婦が充実した姿を示すことで、この状況を肯定的にとらえてくれればいいな、と思っている。

 先日、娘が前の晩から吐き気に襲われ、ほぼ1時間ごとにトイレに立った。朝になっても体調が優れず、近所の病院に連れて行くことになった。春に仙台に越してきてから3度目の症状。原因不明で、多少心配している。

 この日の朝、自分が娘を病院に連れていった。

 蒼白な顔をして元気のない娘が、ベッドに横たわって点滴を受けている姿を見ながら、世の中の多くの同じような子持ちの共働き夫婦のことを思った。

 そして、自分の恵まれた環境にあらためて感謝した。

 理解ある同僚たちに恵まれ、それほど激務でもない職場環境が、家庭で起きたとっさの事態にすんなり対処できる余裕を与えてくれている。会社を含めた広い意味での社会とは、こうあるべきだと頭では思っているが、実際問題として、自分の立ち居地はかなりラッキーなのだと思う。

 誰もが、常に不測の事態を考えて仕事を選ぶほど余裕があるわけはない。

 ならば、人それぞれ個人個人がセーフティーネットの視点に立っておのおのの生活を考えていかなくてはいけないのではないか。

 共働きがしやすい社会とは、人に優しい社会の裏返しなのだと思う。