laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

笑い声。

 常々、「おじさん、おばさん」と評されるような人たちの笑い声が醜いな、と感じてきた。

 なぜなんだろう。こうも不快に聞こえることが多いのは。そう聞こえる声の主は、たいていの場合、決まってお近づきになりたくないタイプがほとんどだ。だから、「おじさん、おばさん」なのだろうと思う。

 そうかといって、他人事ではない年齢になった。自分の笑い声が、誰かに不快な気分を抱かせている可能性は低くない。

 どこかどす黒さを秘めたような甲高くもよくよく聞けば心の底から笑っていないような笑いが、特に嫌いだ。

 そういえば、子どもに対し、無邪気な笑い声という言い方をよく耳にするが、大人にその表現は使わない。年を重ねるとはつまり、良い悪いを含めた知性が磨かれていく半面、純真さを失うことでもある。笑い方が、それを実に分かりやすく教えてくれる。

 こんな文章を見つけた。

 「どんなふうに笑うか、どんな場合に笑うか、そこには人間性がはからずも表れている。たとえば、人の失敗をおとしめて笑っているのか、意味合いのおかしさを笑っているのか、洗練された機知をおもしろがっているのか、ということだ。
 さらに、笑い声の響き方に、その本性が洩(も)れ出ている。
 だからといって、笑いに臆病になる必要はない。他のやり方でも、わたしたちは自分の人間性を表している。わたしたちの人間性が変われば、笑い方も自然に変わるものだから。」

 かのドイツの哲学者ニーチェ(1844ー1900年)の言葉。『漂泊者とその影』から、です。

 笑い方、気を付けようっと。