laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

毎日の“ごはん”。

 平和で安全に暮らし、たまには奮発して美味しい料理を食べることができる時代。「グルメ」がもてはやされたのは、バブル期の1980年代ごろだろうか。あれから30年ほど経ち、「グルメ」は死語になった気配だが、美食をもてはやす風潮は衰えを知らないようだ。

 人間、やっぱり、美味しいモノからは逃れられないんですよねぇ〜。

 超一流の料理人が供する料理は、確かに万人の舌を喜ばせるのだろうが、万人がそれを味わうことはできない。むしろ、ごく限られた余裕ある人たちだけがそれを大いに楽しんでいる。庶民は、たまの贅沢に大いなる喜びを感じ、それはそれでいいのだと思う。っていうか、仕方がない。そんなもんでしょう。

 “問題”は、日々食している料理の味わいなんです。

 便利な現代、お金さえあれば、いい食材、いい料理は買えるけど、たいていの家庭では、台所を切り盛りしている主婦(これもたいていのケースで)の腕に、味の命運がすべてかかっている。

 考えてみれば、これはすごいことじゃないですかね?

 だって、毎日、ほぼ欠かさず家族のために食を提供してくれる労力って、立派です。そこに、見えないたくさんの愛情と工夫が込められているのだから。昨日とは違う、朝食とは違う夕食の、献立を考え、工夫しながら調理され、食卓に運ばれる料理の数々。当たり前のように毎日食べているけど、仮に当たり前でなかったならば.........。

 結婚してから、自分はほとんど調理せずに妻に任せきりできた。毎日毎日、ご苦労さん、だと思います。

 “真の調理人”とは、最も身近にいる存在なのだと思う。感謝、感謝(^O^)。

 【注】フェミニスト的視点からのご批判はご遠慮願います。あくまで、個人的経験からの話で、普遍性があるとは断言できかねますので.......。(^_^;)