laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

No.210 無理は、いけない。

 「お前は長男なんだから、家を継がなければいけない」

 幼いころ、こう言われて育った。有無を言わせない父のこの物言いが、自分の反抗心をかきたてたのは間違いない。

 時代が変わったといっても、まだまだこうした考え方は広く一般的だ。

 なぜ?を問う前に、当事者の半ば諦めが入って既成事実化しているフシがある。おかしな考え方だと、自分はいまだに思い続けている。

 もちろん、置かれた(生まれた)環境によって解釈は違う。どうしても避けられない個々の事情というものもある。それでも..........。

 社会人となって3年目で家を出た。その3年後に結婚した。その前に父を亡くし、母は1人暮らしとなったが、家に戻ることなく現在に至っている。母は今年77歳になる。幸い、とても元気だ。自分の家族は実家の近くに住んでいる。これまで同様、同居する考えはない。

 おそらく、1人暮らしの母は時に寂しいのだと思う。でも、一緒に暮らそうとは思わない。それが、母にとっても自分の家族にとっても最善だと考えるからだ。

 こういう自分の考え方を否定的に思う人々は多い。結婚した当初、母と別々に暮らす自分の姿を不思議そうに見つめる目があった。あれから15年。最近、その目が何となく変わってきたことを感じている。

 結婚を機に親との同居を始めた知人らが、次々と難題に直面し、ついには別居に踏み切るケースが出始めてきた。

 先日、そのうちの1人と酒を酌み交わした。多くは語らなかったが、「お前が言っていたこと、身をもって分かった」としみじみと話していた。

 悲しい話ではあるが、そうなんだろう、と思った。誰が悪い、という話ではない。そもそも、「結婚したら親と同居する」という考え方に無理がある。

 同居を否定しているのではない。同居する理由に、あまり合理性と理解、協調、納得(親と子の間で)などがないことに大いなる疑問を感じているのだ。

 「世代を超え、家族みんなで一緒に暮らす」という図は、一見、微笑ましく理想の家族像に映る。だが、一緒に暮らし始めたがゆえに歯車が狂い出すという現実は少なくない。

 それが人生だ、という向きもあろうが、そうは思わない。

 慣習にとらわれる前に、冷静に考えるべきだろう。

 同居でうまくいっている家族も少なくないわけだから、万人に当てはまる考え方ではない。それは、十二分に承知している。