laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

会えなかった同級生たちへ。

 今年1月8日、仙台市西多賀中学校昭和56年度(1981年度)卒業生の同窓会を開いた。行きがかり上、幹事の1人を務めた身として、それなりに懐かしの顔ぶれが集まってくれ、夜更けまで盛り上がったことをうれしく思う。

 すっかり遅くなりましたが、その節は、みんな、ありがとう。感謝です。

 同窓会は、ちょうど30歳の時に開いてから15年ぶりの2度目の開催だった。周知期間が短かったにも関わらずにそれなりの人数が会場に駆け付けてくれ、旧交を温めた。

 楽しかったですね〜。ご出席いただいた恩師2名の先生方、今なお元気いっぱいで安心しました。

 楽しさ半面、気がかりもあった。同窓会がお開きになるまで、そこで会えなかった人たちの事をずっと考えていた。数にすれば、そちらのほうが圧倒的に多い。会えないということが心に引っかかっていたのだ。

 伏線がある。

 たまに連絡を取り合っている男友達が、「本当は行きたいんだけど、今回はちょっと....。やめとく」と直前に言ってきた。聞けば、失業中の身。言葉は濁したが、「そういう気にはなれない」ということらしい。

 大人になって同窓会に出席する人たちというのは、そこそこに社会で活躍している人たちなのだと思う。その反対に、出席しない人たちは、連絡や時間の都合がつかなかったとか学生時代によほどの嫌な思い出がない限り、何かしらの事情を抱えているのだと思う。

 幹事の立場では、「まぁ、とにかく来てみたらいいよ。楽しいはずだから」と再三誘ってみるのだが、当事者たちは、こちらが思いつかないような欠席理由を持っている。

 仕方がない、と思いながらも、時の流れの重みのようなものを感じずにはいられなかった。欠席した同級生の中には、永遠に顔を合わすことができなくなっていた人たちもいた。

 集まったむかしの仲間たちと、甘酸っぱい思い出話に花を咲かせながら、人生のうつろいの儚さを思っていた。

 50歳になる前にもう一度やろうという話なので、今回参加できなかったみなさん、次回はぜひお越しくださいませ。