laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

距離感。それが、難しい。

 昨日19日、遅ればせながら、今春から娘が通うことになった中学校の入学式があった。1時間足らずの簡素な式で、印象は良かった。

 さて、いよいよスタートしたわけです。親離れと子離れに向けた本格的な助走が。

 って、言葉にするとかなり恥ずかしいほどに大げさなんですが(^_^;)

 自分が中学生になった時を思い起こしても、「親なんて知らねぇよ。うっとうしいし」との思いだったんだから、中学生になるとは、そういうことなのだと思う。

 でも、分かっているつもりでも分かっていないなぁ、と反省することが最近、多い。

 例えば、娘に何かを注意した時、話し終える前に「はいはい、分かったから、分かったってば!」と言い返されることが多くなってきた。これを真に受けて、「何を!その口のきき方はなんだ!」と、内心怒ってしまうことがある。時に、大人げなくそう口にすることもあって、後味が悪い。

 前夜も同じことがあった。たまたま、娘の友だちの言葉遣いが悪いことを話題にしたら、その途端、「もういいから!」と、娘は急に怒り出した。

 これって、話の本題がいいとか悪いとかいうことじゃなくて、親の干渉を嫌がる娘と、干渉の領域に入っていないと思い込んでいる親(つまり俺)との間の容易に縮まることがない距離なんだと思う。

 「親の言うことをいちいちその通りに聞き入れる子どもだったら、そっちのほうが心配だわ」。鷹揚な性格の妻に指摘され、元反抗児の自分はハッとするわけです。

 「確かに」

 そんなタイミングで、次の一文に出くわした。

 「いま一番問題になっているのは子離れでしょう。私の直観では、多くの場合、子どもは早くから親離れしているようです。親というものに対する関心が低くなっているように感じます。親のほうは、『世界』に対する関心が低くなった分、子どもにしがみついているようなところがあります」(『大人は愉しい』 内田樹鈴木晶著、ちくま文庫

 主に、母親に向けた、鈴木氏の指摘なんです。自分が「世界に対する関心が低くなっている」かは定かでないが、ちょっと内向き気味になっている自覚は多少ある。それを家族思い、娘への気配り、親としての責任などと、たいそうな事を無自覚のうちに抱いている自分がいるのだろう。たぶん。

 難しいなぁ、親と子の距離って(正確にいえば、男親と娘、ですが)。

 これはもう、走りながら考えていくほかないんですね。(いつもそればかりですが(^_^;)