laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

No.280 “おんぶに抱っこ”。

 基本、ボランティア活動は善意による無償の行為だからボランティア。ウィキペディアの「ボランティア」によれば、「ボランティア活動は、古典的な定義では自発(自主)性、無償(無給)性、利他(社会、公共、公益)性に基づく活動とされるが、今日ではこれらに先駆(先見、創造、開拓)性を加えた4つをボランティア活動の柱とする場合が一般的となっている」という。

 ただ、その活動が長期に渡り、内容も広範囲に及び、肉体的にも精神的にも負担が大きいならば、その意味合いも吟味すべきなのではないか?

 仙台市津波災害ボランティアセンター(宮城野区)に頻繁に出入りしていて、そんな事を思っている。

 東日本大震災の発生から、11日でまる3ヵ月になる。その間、全国各地、いや、世界各国からも多数のボランティアが被災地に赴き、今なお、無償で活動している。何事にも代えがたい尊い行為、行動が、被災者の方々に希望や勇気などを与えると同時に、ボランティアの輪をさらに広げていく原動力にもなっている。ただ、継続的にでも断続的にでも長期間活動しているボランティアの方々は、必ずしも経済的に余裕があって活動しているわけではない。自分の生活を切り崩してまで活動に没頭しているボランティアさんたちも少なくないのだ。

 そんな方々に対して、もっと後方支援があってもいいのではないか?と思のだ。

 例えば、6月1日、それまでの仙台市南部津波災害ボラセンと同北部津波災害ボラセンが統合したことを機に、それまでボランティアさんたちに利用してもらっていた市バスと地下鉄の無料乗車がなくなった。片道数百円の交通費でも、連日ともなれば負担となる。しかも、サービス廃止の明確な理由は示されなかった。

 歴史に刻まれる大震災。未曾有の被災状況の中で、復興、復旧に向けてボランティアの力は、これまでも、今も、これからも絶対欠かせない。彼ら彼女らの存在なくして立ち行かない状況を、どのように見ているのか?

 このまま、ボランティアさんたちの善意に“甘え続けて”いいわけはない。

 問われるべき対象は、国であり、県であり、市や町、村の行政機関であり、ボラセンを運営する各地の社会福祉協議会など公的な組織の姿勢だ。この際、ボランティア村のような、基本無料の宿泊施設を被災現場周辺に設け、それをボランティアさんたちに利用開放し、活動しやすい環境をしっかり整備すべきと思う。そうした目的への公共投資は社会にとって大いに意味がある、と考える。

 被災者のみならず、熱意あるボランティアさんたちだって実は疲れてきている。人間なんだから、それは当たり前。我慢、辛抱、情熱、意気込み....など、そうした「思い」で最初は進めた。そして、今がある。だが、長期化に向けてそれだけでは進めないだろうという疑念を拭えない。

 現状では、一番働くべき立場にある人たちが有償で業務をこなし、最前線で必死で汗を流しているあまたのボランティアさんたちが無償で働いている。

 「それが、ボランティアなのだ」などと当然視するには無理があるのではないだろうか。