laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

何なんだろう?か。

 放言で辞任に追い込まれた大臣だとか、指導力不足の菅さんだとか、その周りで右往左往している人たちだとか、当たり前のように嘘を垂れ流しておきながらそれがバレると一転反省の態度を示しながらもその場限りの対応に終始する電力関係者たちとか........。

 震災前も同じような類のお粗末な光景は数多くあったけど、震災以降、集中砲火のごとく次々と世間をにぎわせ続けているお恥ずかしい人々の面々と出来事の数々。

 まるで、子どもの世界のような幼さを、連日ダイジェスト版で見せられているような感覚だ。まだ、子どもの世界のほうがずっとマシだと思う。純粋で正直な分だけ、悪意が少ない。

 こんなうんざりするようないい加減さはこの際、“どうでもいい”。もちろん、どうでもよくはないんだけど、“どうでもいい”。

 それ以上にうんざりすることがあるから。

 こういう“どうでもいい”ことに対するネット上での“物言いの洪水”が、ホント、“どうでもいい”。

 わけ知り顔、したり顔、正直そうな顔、真面目な顔、正義感ぶった顔、「ナッタキ」の顔.......。概して、ヒステリックでパセティックで刹那的で傲慢で上から目線的大上段に構えた意見の数々に接する度、書き手のそんな嫌〜な顔を思い浮かべてしまう。

 でも、案外、実際のリアルの顔はごく普通だったりするわけで(^_^;)。

 いや、だからだろう。発信、発言者は十中八九、ハンドルネームという名の匿名さんたちばかりだ。素性がバレなければ、何を言ってもいいんでしょうかね、この人たちのモラルというものは?

 基本、匿名での発言は信じないことにしている(※日記のような類のプライベートな話を除いて、というかっこ書きですが)。いかに建設的(に思える、響いてくる)だろうが、素敵な意見(同)だろうが、匿名である限り、信頼、信用をおくことができない。だって、マスクをかぶったうえに人目から離れた場所で、ゲリラ的に言いたい放題しているヒトって、ヒトとしてどうなんでしょう?

 そんなことを、最近思い続けている。

 そして、自分なりに思い当った彼ら彼女らの匿名性の行動のモチベーションは、「ガス抜き」だということ。

 当事者に直接、口で言えないから、ネット上で好き勝手な物言いでストレスを発散する。言ってみたところで(正確には、書いてみたところで)不平不満は何ら解消しないけど、「とりあえず、言ってやった!」という自己満足が少しでも得られるのだろう。匿名ゆえ、その発言の責任を引き受けないでいいから、言いっ放し。「や〜い、ザマミロ〜」みたいな(^_^;)。その代表的な舞台が「○ちゃんね○」なんだろうなぁ。

 なんて幼稚なんだろう。なんて暗いんだろう。なんて屈折しているんだろう。

 たまりませんね、こういうの。

 どう、思います?