景観。
穏やかな自然景観に心癒されないのは、よっぽどひねくれた人格の持ち主かささくれ立った心持ちの人だろう。
同様に、人工的で無機質なコンクリート壁に心癒されるのは、牢獄の住人らごくごく非日常的な場所に暮らす人や変わった性格の持ち主なのだろう。
しかし、こうした人間の本質は、立場や状況、環境、文化などでたやすく変わってしまう。
東日本大震災では、“万里の長城”と呼ばれた宮古市田老地区の2重の巨大防潮堤が、津波であっけなく破壊されて多くの犠牲者を出した。
“コンクリートが好きな人たち”は、防潮堤のさらなる高みや堤防増数などを望み、“コンクリートが嫌いな人たち”は、防砂林の設置や高台移住の必要性を訴え、自然景観に目を向ける。
どちらの言い分も理由はどうあれ、乱暴な言い方をすれば、「景観を大切に考えない人たち」と「景観を大切に考える人たち」の違いなのだと思う。
10月12日付け河北新報朝刊第1社会面「焦点 3・11大震災」が、関連テーマを扱っている。
対峙する形で、あるいは挑戦する形で自然に向き合ったところで、所詮人間に勝ち目がないことを、今回の大震災が悲惨な結果付きで証明した。
いい加減、海の中にコンクリートの塊を埋め込むなどという自然破壊の発想をやめるべきだろう。
「防災のための防潮堤」という一見もっともらしい説明は、「人工的な自然破壊」を覆い隠すためのレトリックにすぎない。
っと、思うわけです。