laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

我慢、我慢...その先に、何があるのか?

 根性論がいまだに幅を利かせているこの社会では、我慢を強いられる局面が少なくない。

 学校で、家庭で、部活で、職場で....そして、被災地で。

 そういう事を強いる人たちは、たいてい、それほど大した我慢をしてきたわけでもない。「俺はこういうふうに....」「私はあの時.....」なんて言い出したら、聞いているふりして聞かないに越したことはない。

 我慢の経験を語り出してとまらないタイプの人って、つまるところ、他人からリスペクトされたいんだと思う。

 そんな場面に居合わせたら、大げさに、「へぇ〜、それ、凄いですね!」って言ってあげるのがとても親切なことなのかもしれない。

 俺は上手くできないけど。 だって、そう思ってないもん!

 知人夫婦にまつわる話。

 っと言っても、奥さんのほうしか知らないんですが(^_^;)。

 典型的な“冷え切った夫婦”で、会話らしい会話がなく、連絡事項はほとんど携帯のメールで済ましている。自宅の中でも。

 「あの件、頼んだわよ」

 「あぁ、分かった。......ところで、今日の夕飯、何?」

 「肉じゃがとサバの味噌煮!」......。

 こんな感じなんだろうか?

 この夫婦には、中学生になる息子2人がいる。

 奥さんは、「とにかく、旦那と上手くいってないのよ」と強調する一方で、「別れたいんだけど、子どものこととか考えると.....」などと口ごもる。

 本人には言わないけど、別れたほうがいいと思う。いや、別れるべきだ。

 でも、当人たちは、こんな状況に我慢している。

 「ここをしばらく我慢すれば、越えられる」とでも思っているんだろうか?

 余計なお世話ですが、劇的な変化がない限り、越えられない、と思う。

 これほど深刻でなくとも、少なからず似たような状況の夫婦、家族って多いなぁ、と周囲の状況を見聞した実感として思っている。

 これって、美徳なの?

 人生、多少の我慢が必要な時はだれにでもある。

 でも、度を越す我慢に耐える生活って何なんでしょう?

 いつ終わるか分からない(多くの場合、終わらないと思うけど)“我慢のスパイラル”の中でじっと耐え忍び、精神的にもがき苦しみ、不機嫌な生活を続けているくらいなら、いっそ再スタートを切ったほうが楽なのに。

 我慢が好きな人は、「楽」という言葉を表面的に忌み嫌う素振りを見せがちだ。心のそこでは、「楽になりたい」って思っているくせに...。

 強がりだな〜、本当。

 我慢に耐えている自分の姿を褒めるより、さっさと別次元に身を置き直してリ・スタートを切り、精神的に楽で安定した日々を過ごしたい。

 “ある夫婦のメール会話”の話を聞いて、そう思った。