laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

喉元過ぎれば...。

 確か、夏ごろまではそうだった。

 気付いた時には、既に現状に戻っていた。確か...。

 自宅近所の大型パチンコ店のイルミネーション。

 震災が起きて、しばらくは消えていたはずなのに、今や震災前と変わらぬビカビカ状態。

 夜の帰宅途上で、必要以上に輝くその電飾を見るたびに呆れている。

 「ちょっと〜、眩しすぎるんだけど...」

 住友生命保険が昨日8日発表した、今年の世相を4文字で表現する「創作四字熟語」の優秀作品のひとつが、「電考節夏」。「電気についてみんなよく考えた、節電の夏」ということらしい。

 「夏には考えたけど、それ以降は知らないよ」、ってことなのか?

 節電の必要性があんなに盛んに唱えられ、それなりにみんな努力したけど、くだんのパチンコ店だけに限らず、“我慢の夏”が終わった途端、何だか、「このくらい頑張ったからもういいよね?」みたいな感じで電力が消費されている光景は、なにも仙台に限ったことではないだろう。今でも引き続き頑張っている店や人たちだっているにはいるけど...。

 人間って、忘れっぽい生き物なんですねぇ。

 だいたい、「こんなに明るくする必要があるわけ?」という場所が至る所にある。細かいことを言えば、自分たちの家の中だってそう。そこに居ないのに部屋の電気をつけっぱなしにしていたり、見てもいないテレビのスイッチを消さなかったり...。

 節電を持続する心持ちって、そう簡単じゃないのだろう。

 だからといって、「それでいいんじゃないの?」というふうには思わないし、思いたくない。

 考えすぎかもしれないけど、節電思考が徐々にしぼんでいっているようなこの現象を見ていると、原発の再開を連想しないわけにはいかない。

 あれほどな危険物質をまき散らし、世界中に恐怖を与えた福島の事故。今後、復旧作業にある程度目処がついた時点で、特に経済界と政界が中心となって、「あれだけ我慢したんだから、もうそろそろいいんじゃい?」と平気な顔をして言い出し始める可能性は極めて高い、と思う。事故を起こしていないほかの原発立地地域では、安全性への懸念とは裏腹に、「まっ、こちらにはほぼ無関係でしょう。福島が悲惨すぎただけだから。大丈夫だよ」などという根拠のない楽観さえ漂っているように感じられる。

 そういうあいまいさ(言い換えれば、いい加減さ)が、俺たちが暮らすこの社会の特徴でもあり、時に強みになったこともあるんだけど...。何だかなぁ〜。

 こういう状況になると、決まってこんな声も盛んに聞こえてくる。「社会が悪い」とか「政治家が悪い」とか「官僚が悪い」とか、「マスコミが悪い」とか...。口角泡を飛ばして“誰かに責任を取らせようと躍起”になってもあまり効果的ではないと思うんだけどなぁ。

 遠い道のりだけど、やはり、一人ひとりが考えて、行動に移していかなければ何も始まらないと思う。

 今でも節電、してますか?