laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

No.340 “いズい”肩書き。

 ここでブログを書いていると、どうもしっくりいかないことがある。

 肩書が“邪魔”になるのだ。「新聞社の社員」という肩書が。

 昨年4月にふらっと編集室に異動してきて初めて入ったブログの世界。思ったことをズバズバ書き連ねるストレートな物言いに、初めのころは否定的なご意見をちょくちょくいただいていた。

 ・好きな銘柄のタバコについて書いた時→「有害物質に対する肯定的な内容で、新聞記者が公の場で書くには不適切だと思います」

 ・「車が全く来ないのが明らかな横断信号をずっと待っているくらいなら赤信号でも渡っていいのでは?」などと書いた時→「コンプライアンスで照らし合わせた場合、無秩序を生み出します」「新聞記者の方がこのようなことを公の場で記者の名を名乗って書くには不適切だと思います」

 ・夏になるとルールを守らないサーファーが海に大挙して訪れる現象に触れ、「『キムタク』とか呼ばれている人も、海では結構バカにされています」と書いた時→「個人が特定された上での誹謗中傷です 」

 ・「なぜ、働くのか?」のタイトルで、「そう問われれば、『お金を稼ぐため』と答える。即答です。」と書き始めたブログを書いた時→「新聞社にこんな人間がいるならここはやめる」などとブログで宣言してふらっとを退会した会員さんがいた。(後日、何事もなかったように戻っていらっしゃいましたが)

“代表例”を挙げると、ざっとこんな感じ。

 自分は新聞記者ではなく、ふらっとのプロフィール欄には、「ブログ内容は、河北新報本紙とは全く関係がありません。編集方針にも基づいておりません。」と記述しているんですが...。

 各人、各コメント、言葉は違えど、共通するのは、「新聞社の社員たる者、そんな事を書いたらいけません!」というご意見と思考回路。中には、ご丁寧にもメールでご注意いただくこともあった。会社が、ここのSNSを運営しているという事情も、こうしたご意見が寄せられる理由でもあると思う。

 ストレートに反応いただいたことには感謝している。ただ、そのようなご指摘の趣旨、正直、理解できない。

 なぜ、「新聞社の社員」だと「そんな事を書いてはいけない」のか?

 たまたま新聞社に勤めているだけで、聖人君子でもなんでもない単なる凡人に向かって、↑のようなご指摘はかなり的外れだと思っている。

 自分を当惑させるのは、書き手も読み手も、ブログがほとんど私的な内容であると承知していながら、報道目的の新聞と比べて批判することを当然視している感覚。

 上記の方々とはコメント欄で何度か言い合ってきたが、いつまでも平行線で決着がつかなかった。言葉を重ねれば重ねるほど、論点が大きくずれていってしまう(説明不足などこちら側の責任もあるが)。今では、“寄り付かなくなってしまった”方々もいる。

 乱暴な言い方を承知で言えば、肩書でモノを考えるタイプの方々と、それをあんまり気にしないでモノを考えるタイプの人間の違いによる意見の不一致とでも申しましょうか...。すごく乱暴なんですが.....(^_^;)。

 そんな事を考えながらブログ更新を続けていると、前にも書いたけど、顔の見えるFacebookのほうが書き込みやすいなぁと思うこともある。

 「ならばFacebookに完全移行すれば?」というご意見もあるはずだが、ここにこだわりたいという気持ちのほうが強く、当面はここで踏ん張っていくしかない。

 っと、長々と書いてきたのにはわけがある。

 未公開のネタの処理に困っているんです。

 それを公開する意義を自分なりに感じているのだが、どっこい、肩書がそれを邪魔している。

 肩書とはつまり、個人より組織が優先されるということ。

 確かにそれはそうかもしれないが、直面する困りごとに、あっさりと、「それも仕方がないなぁ」なんて具合には思いたくない。
 
 匿名の世界って嫌いなんだけど、肩書きを気にせず本当に書きたい、言いたい事を思いのままにやるには、やっぱり匿名でないとできないのだろうか?

 ぼんやりと、そんなふうにも考える。

 いやいや、そんなことはないはずだ。

 そう思いたいし、それを自ら証明したいと思っている。

 とはいえ、思っているだけで決定打が今のところない。