変人。
まっ、どこにでも「変な人」っていますよね。
そういう人たちの中でも、「あいさつしない人」ってなんなんだろうなぁと思うことしばしば。
どうでもいいと思えばどうでもいいんだけど、気になるから仕方がない。
全く知らない、関係ない「赤の他人」ならいざ知らず、同じ会社の人とか隣近所の人たちなんかだと、「感じ悪いよなぁ〜」なんて思いながら、薄気味悪い。
震災があって、人と人との絆が叫ばれた。
実際、涙なしには語れないような感動の絆はあったし、ボランティアの現場などではまだまだそれが続いている。
それはそれで素晴らしい。
緩やかだろうと緊密だろうと、「絆」は人が人として生きていくには大切なことなんだと思う。
それは、被災地の中だけで問われていること、必要とされていること、ではないはず。
そこで、「あいさつ」。
それって、人として生きていくうえで「キホンのキ」なんじゃないのかなぁ。
これほどまでに、「あいさつに無関心」な人たちがゴロゴロいるっていうのは病的だと思うんだが、俺たちが暮らしている場所って。というか、俺が暮らしている場所って、か。
震災で、多くの人たちが、「困っている人を助けたい」「自分も何か手伝いたい」「なにかやらなければ」などと考えた。
そういう優しい気持ちが、どうして「キホンのキ」とダイレクトに結び付かないのか?
それが、不思議でならない。
確かに、俺も「変な人」ではあるんだけど、さ...(^_^;)
そういう人たちの中でも、「あいさつしない人」ってなんなんだろうなぁと思うことしばしば。
どうでもいいと思えばどうでもいいんだけど、気になるから仕方がない。
全く知らない、関係ない「赤の他人」ならいざ知らず、同じ会社の人とか隣近所の人たちなんかだと、「感じ悪いよなぁ〜」なんて思いながら、薄気味悪い。
震災があって、人と人との絆が叫ばれた。
実際、涙なしには語れないような感動の絆はあったし、ボランティアの現場などではまだまだそれが続いている。
それはそれで素晴らしい。
緩やかだろうと緊密だろうと、「絆」は人が人として生きていくには大切なことなんだと思う。
それは、被災地の中だけで問われていること、必要とされていること、ではないはず。
そこで、「あいさつ」。
それって、人として生きていくうえで「キホンのキ」なんじゃないのかなぁ。
これほどまでに、「あいさつに無関心」な人たちがゴロゴロいるっていうのは病的だと思うんだが、俺たちが暮らしている場所って。というか、俺が暮らしている場所って、か。
震災で、多くの人たちが、「困っている人を助けたい」「自分も何か手伝いたい」「なにかやらなければ」などと考えた。
そういう優しい気持ちが、どうして「キホンのキ」とダイレクトに結び付かないのか?
それが、不思議でならない。
確かに、俺も「変な人」ではあるんだけど、さ...(^_^;)