laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

美学。

テレビ全盛の時代、「絶対にテレビには出ない」というスタイルを貫いていた歌手がいた。

松山千春中島みゆき、矢沢永吉ら、今じゃ“お茶の間の風景”と化してしまった面々がそうだったと思う。

当時は、「いいね!」って思っていた。

必要以上に露出しない「潔さ」みたいな部分に共感した。

同じレベルで語ってしまってはいけないが、「顔出しNGの美学」は新聞記者にも広く共通するのではないだろうか?と思っている。

記者の肩書を利用した自己PRのための露出は問題外だが、フェイスブックなどソーシャルメディアが勢い付いている今の時代、さまざまな事象をレポートし、弱ってきたとはいえまだまだ社会的影響力がある新聞記者たちが匿名でい続けることに疑問の目が注がれている、と感じる。

当事者たちの意図や思惑、狙いなどとは裏腹に。

「あんな偉そうな事書いてるヤツは誰だ」に始まり、「心にしみたあの文章の書き手は誰なの」とか「そんな考えおかしくない?書いたの誰?」とか「同感、同感。気持ちは私と同じよ。はて?誰が書いたの?」...。

そんな疑問を持っている読者が多数存在する。

こうした疑問は別に今に始まったことではない。

疑問自体があまり公にならなかっただけ。

ソーシャルメディアの発達は、その種の疑問を公開という形でネット上にさらけ出し、拡散させ、ある程度の世論に影響を与えるようになってきた。

「書き手である以上、顔をさらすわけにはいかない」などという美学という名の理屈が通りにくくなっている時代なのだ。

顔出ししない本当の理由って何だろう?

自分たちにとってのデメリットとは?

自分もついこの前まで新聞記者だった立場。

ずばりの答えが、思い付かないでいる。

ネット部門で仕事をし始めて間もなく2年。

「顔出しの美学」なるものを足元から広めたいと企んでいるのだが...。