生きるとは...。
なかなか春が到来しない今年。
もう3月も半ばなのに。
明日は、あの日から1年。
いろいろありましたね、本当に...。
昨日、仙台新港で営まれた、震災物故者追悼法要で、住職の方が言っていたフレーズが印象に残る。
「人はみな、仏さまになるために人生の旅を続けているのです」
生を受けた瞬間から、人に限らず生物はみな、死に向かっている。死ぬために生きている、ともいえる。
平凡な時間ばかりを過ごしていると、あまり意識しない。特に若い時分は。生きているのが「当たり前」と思ってしまいがちだ。
ところが、死に接した時、人はその摂理に心底気付かされ、いろいろと思う。
東日本大震災は、直接的な被災者ではない多くの人々の「深層心理」までも深くえぐった。っと思う。
「こういう生き方をしていて果たしていいのだろうか?」
「いつ何時命が途切れるか分からないから、懸命に生きよう」
「何だか原因はよく分からないんだけど、不安で仕方がない」
....。
いろんな思いや考え、悩みなどが、人それぞれに突如湧き上がった。
そんな1年、だったように思う。
2年目になったからといって何かが大きく変わることはない。
だとしたら...。
生きている限り、後戻りはできない。振り返ることはできても。
好むと好まざると、意識的にでも無意識にでも、前に進む以外に道はない。
なにをもって「前」なのか、という問いはあるだろうけど...。
そんなことをつらつらと考えている。
おっと、あと1時間もすれば3.11だ。
もう3月も半ばなのに。
明日は、あの日から1年。
いろいろありましたね、本当に...。
昨日、仙台新港で営まれた、震災物故者追悼法要で、住職の方が言っていたフレーズが印象に残る。
「人はみな、仏さまになるために人生の旅を続けているのです」
生を受けた瞬間から、人に限らず生物はみな、死に向かっている。死ぬために生きている、ともいえる。
平凡な時間ばかりを過ごしていると、あまり意識しない。特に若い時分は。生きているのが「当たり前」と思ってしまいがちだ。
ところが、死に接した時、人はその摂理に心底気付かされ、いろいろと思う。
東日本大震災は、直接的な被災者ではない多くの人々の「深層心理」までも深くえぐった。っと思う。
「こういう生き方をしていて果たしていいのだろうか?」
「いつ何時命が途切れるか分からないから、懸命に生きよう」
「何だか原因はよく分からないんだけど、不安で仕方がない」
....。
いろんな思いや考え、悩みなどが、人それぞれに突如湧き上がった。
そんな1年、だったように思う。
2年目になったからといって何かが大きく変わることはない。
だとしたら...。
生きている限り、後戻りはできない。振り返ることはできても。
好むと好まざると、意識的にでも無意識にでも、前に進む以外に道はない。
なにをもって「前」なのか、という問いはあるだろうけど...。
そんなことをつらつらと考えている。
おっと、あと1時間もすれば3.11だ。