laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

自粛解除。

 そもそも全体行動にあまりなじめない性分なので、集団的に行動を規制する動きには、まずは身構える。

 時と場合、「自粛」という行為が必要なことに異論はない。

 ただね、それを広く呼び掛けることには、違和感を抱くケースが少なからずある。

 震災から1年が過ぎた翌日の昨日、3月12日。

 サーフスポット「仙台新港」には、それまでのメンツとは違う顔触れのサーファーたちが集って来た。



 地元のサーフショップオーナーさんたちで組織する「仙台サーフショップユニオン」は震災後、ショップユーザーらを対象に、仙台新港でのサーフィン自粛を呼び掛けていた。

 3月11日をもって、それが解除された。

 それが、仙台新港へのサーファーたちの“カムバック”の大きな要因なのだと思う。

 海にサーファーが戻って来るのはいいことだし、当然なこと。だって、サーファーなんだから。

 当初から疑問に思っていたのは、「なぜ、彼らサーフショップのオーナーさんたちが、自粛を呼び掛けていたのか?」の1点。

 自粛に反対していたオーナーが数人いたことは知っている。その人たちが、自分たちの判断で早い段階から海に戻って来たことも知っている。

 決して同調できないのは、そうした自主判断、行動した少数のサーファーたちを、陰で悪く言っていた人たちの考え方。

 別に隠すこともないので繰り返し言うけど、俺は震災後4ヵ月ほどの昨年7月末から、仙台新港と隣接する蒲生ポイントに入り始め、今に至る。

 この間、何人かのサーファーたちから同じ事を問われた。

 「大丈夫なの、(海に)入って?」

 放射能だとか大腸菌だとか海の汚染に関する問いならば、気持ちは分かる。だが、彼ら、彼女たちの問い掛けは、「仙台新港ではサーフィン自粛のはずだけど、入って大丈夫なの?」という意味。

 「そんな事、自分で考えろよ!」などと言って電話を切ることも何度かあった。

 「まったく」、なのだ。

 ホームタウンを日々の拠点としながら、いい波を求め、国内外のさまざまなポイントに足を運んで波に乗っているのがサーファーなんだが...。

 あまり意味もなく正当性もない自粛に、これほどまで長い期間、地元のサーファーたちが“縛られていた”現実に、ある意味、不気味さを感じてきた。

 とはいえ、人それぞれ。いろんな考えがあるわけだ。

 それも、仕方がない。



 昨夏から海に入り続け、地元の被災者の方々や自粛中のサーファーたちから直接何かを言われたわけではない。

 むしろ、驚くほどに静かでむしろ好意的ですらあった。なので、この約8ヵ月間は、とても快適な時間を海で過ごすことができてとても幸せだった。

 やっぱり、海はいい。

 戻ってきた多くのサーファーたちも、しみじみ感じているに違いない。

 とりあえず、もう自粛はやめようよ。

 だって、海は、誰のものでもないんだから...。

 悲しいこともあるけど、楽しいこともある。

 それが、人間の目から見た自然の摂理なのでは?