震災後の心持ち。
子どものころ、母からこう言われてよくたしなめられていた。
「贅沢なことばっかり言ってるんじゃないのよ、あんた。恵まれない人たちはこの世の中、大勢いるんだから。上ばっかり見てちゃいけないよ。自分がどれほど恵まれているかって考えないと、ね」
裕福な家庭ではなかった。
でも、食べるに困るほど困窮していたわけでもなかった。
あれがほしいとか、これがほしいとか、ああだったらいいとかこのほうがいいとか、ない物ねだりするわが子に、母は時に厳しかった。
我慢というものを、母は教えたかったのだと思う。
きちんとそれを身に付けて成長したとは決して思っていないが、言わんとするところは了解しながら大人になったつもりではいる。
震災後、この話をちらちら思い出すことが多くなった気がする。
仕事がうまくいかない時や人付き合いでもつれた時、体調があまり思わしくない時、仕事が忙しい時、お金がない時...。つまりは、自分が不調の波にあるなぁ、って感じた時にことさら。
そして、こう自分に言い聞かせている。
「おまえなぁ、そんな事、被災者の人たちに比べたら何でもない事だろ?」
他愛もない私事に、「被災者の人たち」を例に取ること自体お叱りの対象なのかもしれない。でも、そう自問自答しながら気持ちを落ち着けている自分が確かにいる。
そうした事自体、悪いことではないと思っている。
震災への関心が薄れてきた、と言われている。
日常のふとした場面で、「被災者を思えば...」と考え、思い至り、ちょっと立ち止まる。
被災者、被災地への直接の支援になるわけではないが、あながち無益なことではないと思っている。
「贅沢なことばっかり言ってるんじゃないのよ、あんた。恵まれない人たちはこの世の中、大勢いるんだから。上ばっかり見てちゃいけないよ。自分がどれほど恵まれているかって考えないと、ね」
裕福な家庭ではなかった。
でも、食べるに困るほど困窮していたわけでもなかった。
あれがほしいとか、これがほしいとか、ああだったらいいとかこのほうがいいとか、ない物ねだりするわが子に、母は時に厳しかった。
我慢というものを、母は教えたかったのだと思う。
きちんとそれを身に付けて成長したとは決して思っていないが、言わんとするところは了解しながら大人になったつもりではいる。
震災後、この話をちらちら思い出すことが多くなった気がする。
仕事がうまくいかない時や人付き合いでもつれた時、体調があまり思わしくない時、仕事が忙しい時、お金がない時...。つまりは、自分が不調の波にあるなぁ、って感じた時にことさら。
そして、こう自分に言い聞かせている。
「おまえなぁ、そんな事、被災者の人たちに比べたら何でもない事だろ?」
他愛もない私事に、「被災者の人たち」を例に取ること自体お叱りの対象なのかもしれない。でも、そう自問自答しながら気持ちを落ち着けている自分が確かにいる。
そうした事自体、悪いことではないと思っている。
震災への関心が薄れてきた、と言われている。
日常のふとした場面で、「被災者を思えば...」と考え、思い至り、ちょっと立ち止まる。
被災者、被災地への直接の支援になるわけではないが、あながち無益なことではないと思っている。