laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

「厳罰化」に思う。

 「日本の飲酒ルールはこのところ、とても厳しくなった。福岡の事故の悲惨さを思えば、進んで当然の厳罰化である。民間も例外ではなく、私の勤める新聞社でも若手記者が解雇されている。

 (中略)

 さて今回、職種ごとの懲戒基準を比べてみると、目立って厳しかったのが公立学校の教諭だった。警官や医師、国家公務員では、酒気帯びでも、事故さえ起こしていなければ停職で済まされる余地が大きい。

 何であれ、にわかに正義が高く掲げられると、大勢が厳格化の方向になだれを打って打ちすぎて、現場が自縄自縛に陥ることがこの国にはままある。」

 昨日22日付け朝日新聞朝刊の「ザ・コラム」欄で、東京・社会部長の山中季広さんが、こう書いている。軽い酒気帯び運転で懲戒免職とされた女性教諭が、復職を求めて提訴しているという話を引き合いに、同じ理由で免職とされた各地の教諭らが教育委員会を訴え、勝訴している例を紹介している。

 「『生徒の範たる教育公務員ゆえ高い飲酒理論を』という理念はわかるが、一律に免職とするのはやはり硬直しすぎだろう。

 同じ酒気帯びでも、招いた結果に応じて責任を問うすべはないものか。」と、問題提起する山中さん。

 同感!

 「飲んだら乗るな。乗るなら飲むな」

 異論はない。

 でも、「飲んで乗ったら会社はクビ」という方向に限りなく向かっている(と感じる)「社会の風潮」に、賛成しかねる。

 山中さんも指摘する通り、飲酒運転に対する厳罰化の流れは、2006年夏に福岡市職員が起こした幼児3人を犠牲にした飲酒運転事故。これをきっかけに、飲酒運転根絶を求める声が高まった。遺族感情を思えば、その訴えは理解できる。

 でも、即厳罰化では、かなり単純ではないか?

 白か黒。

 中間色が全くない硬直した考え方だと思う。

 組織の管理者にとっては、該当するような職員が現れれば、クビ切りが容易になり、外部からの批判を、とりあえず、分かりやすくかわすことができる。

 それにしても...。

 酒気帯び運転の結果は、さまざまだ。人を殺してしまう結果と、車の一部(それも自分の)をこすっただけの結果では、深刻さが天と地ほどの差がある。

 こういうことを書くと、必ず、「お前は酒気帯び運転を容認するのか!」というヒステリックな声がどこからともなく飛んでくる。

 そうしたご指摘も、硬直化の具体例だと思う。

 「正義」という仮面をかぶった厳罰化。

 その基底に、ヒステリックな主張や尖鋭化した考えなどがあるように感じる。

 なんだかとっても不気味なんですが...。