laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

早いが勝ち?いや、違うな...。

 ニュース的な動きや事柄について、「できるだけ早く知っていればいいかなぁ」ぐらいに思っている。

 職業柄、「それでは甘い!」とお叱りを受けそうだが。

 「新聞記者の一線」とは違ったポジションに立つ現在だからこう思うのではなく、現場に出ていた時から似たような思いは抱いていた。

 現実的に、何でもかんでも人より先にニュース的な動きや事柄を知ることなんて不可能です。

 違いますか?

 多メディア化にソーシャル化の流れで、ニュースの定義が様変わりしつつその出所も実に多様になってきている現在、「早く知ること」は以前に比べて簡単になったようで難しくなったようにも思う。

 同時に、「早く早く...」とせがむように、あるいは、焦っているかのように(本人にその意識はないんでしょうが、そう見えてしまう)、ニュース的な動きや事柄に、すごくこだわる人たちが増えてきているようにも思う。

 みんなが知る前に自分だけが知っているという状態は、ちょっとした快感なのかもしれない。

 みんなが知っているのに自分だけが知らないという状態は、ちょっと落ち着かない気分なのかもしれない。

 でも、みんな、知ってしまったらしばらくすると、その快感やら気分は雲散霧消する。

 ニュースがニュースでなくなり、人々の関心はまた別の新しい動きや事柄に向いていく。




 知ることについて、「早いが勝ち」という論理が通用するのは、大統領とか首相とか国防参謀とかテロリストとか特別な人々を除いては、一般的に、速報というものを世に伝える仕事に従事している関係者ぐらいのものではないか?

 しかし、インターネットの普及とソーシャルツールの多様化で、それさえ崩れてきている現実がある。

 早さを競う価値観を重んずるよりむしろ、その中味が大事なのだと思う。

 すごく、シンプルで当たり前のことだけど。

 それを掘り出す、あるいは自ら掘り進める、そして、自慢するのではなくきちんと伝えていく。そういうことが、より大事になってくるのだと思う。

 どうでしょう?