laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

「友だち」

 フェイスブック上に、ある程度の数の「友だち」がいる。

 「友だち」になりたい相手を選んで、「友だち」申請をして、承認されれば、その場で「友だち」になることができる。

 至極手軽に簡単に、「友だち」をつくることができる。

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 ただ、その「友だち」の多くが、「本当の友だち」ではないことを互いに了解している(たぶん)。

 自分の周りを見渡すと、「本当の友だち」の多くが、フェイスブックをやっていない。

 「やる必要性をあまり感じていない。やらなくても特に困らないから」

 そう、口をそろえている。

 ソーシャル化が進んでいるといわれてはいるが、そうでもない現実を、自分の足元で感じている。

 確かに、ソーシャルツールというのは、使いこなしてこそ、「便利だなぁ。楽しいなぁ。やっていてよかった」などと感じる類のモノだけど、みんながみんなに絶対必需品というわけではなく、一度試したけど、「やっぱ、なんだか面倒くさいからやめた」という声もよく聞く。

 そこで、再び、「友だち」。

 この関係性、結構、“微妙だな”と思っている。

 簡単に「友だち」になることができる半面、簡単に「友だち」になることを拒否することもできる。「友だち」申請に対して、ダイレクトに拒否する以外にも無視することも可能で、「友だち」になっておきながら、相手が知らぬ間に削除キーを押して「友だち解除」もできる。

 「友だち」を申請しないことで、無言の拒否を相手に与えることもできる...。

 ネット普及率の高い外国では、フェイスブックがいじめの舞台となりちょっとした教育問題になっているという話を聞いたことがあるけど、うなずける。

 自分は職務上必要なため最低限の頻度で使っているから、そのあたりのことは全く気にしていない。だけど、思い悩むタイプの人たちは、フェイスブックの「友だち」を巡り、いろいろ心を痛めているのかもしれない。

 所詮、多くは「仮想の友だち」なのだ。

 ネットとリアルの関係性が限りなくクロスオーバーしがちな流れの中にしばし身を任せつつ、その認識は忘れないようにしている。