疲れるべくして疲れている?
この暑さ、の話ではなくて、ソーシャルメディアとの付き合い方。
関西学院大准教授(社会学)の鈴木謙介さんが、昨日7月30日付け読売新聞朝刊の「Web空間」で、「ソーシャル疲れ」の現象について書いている。
ところで、「ソーシャル疲れ」って何?
鈴木さんによれば、「ソーシャルメディアをしじゅうチェックしていないと不安になるとか、人間関係の維持が面倒になってしまうとか、そういった出来事の総称だと思えばいいだろう。」とのこと。
「ソーシャルメディアの人間関係に疲れてしまうのは、友達がいないからではなく、交友関係が広くて友達が多いからだ。」と指摘する鈴木さん。「友人たちはみな同じように自分の書き込みを読む。それでも私たちは、学生時代の友人と職場の同僚では異なる顔で接しているから、ソーシャルメディア上でもその(相手との付き合い方)使い分けを意識しなければならない。そうしたところに『ソーシャル疲れ』の一因がある。」のだそうです。
※()内は筆者の注釈。
なるほどねぇ...。
まっ、疲れたら、適当に休めばいいんじゃないの?
単純にそう思うんだけど、それができずにいる人たちがいる。
だから、「ソーシャル疲れ」なんて現象が出て来る。
自分の友人たちが今何をしているのか、リアルタイムで知ることもできるソーシャルメディアの特性が、「ユーザーにとってある種の孤立感を生む原因になっているのではないか。」と問題提起する鈴木さん。
「仲間外れ」を感じることによる孤立感のことだ。
いやいや、しかし、それほどまでに“没頭”しなくてもいいんじゃないでしょうかねぇ、と思うんですけど(^_^;)。
便利なツールも、って言うか、便利だからこそ、知らぬ間にはまってしまう恐れがある。
「友だちの動向をしっかり確認しなくちゃ」とか、「この前コメントいただいたから、今度は私がコメント返ししなくちゃ」とか、「あの人たち、今、何やっているんだろう」、「私の書いたことどう思われているんだろう?」...。
「人がどう自分の事を思っているのか?」みたいな反応は、考えれば、きりがない。
みなさん方の動向は気になるけど、知らなきゃ知らないでもそんなに困らない。
ただでさえ面倒くさい人付き合いを、わざわざネット上に抱え込む必要なんてさらさらないと思うんですが...。
開き直って使っていると、「ソーシャル疲れ」なんてほとんど感じない。
関西学院大准教授(社会学)の鈴木謙介さんが、昨日7月30日付け読売新聞朝刊の「Web空間」で、「ソーシャル疲れ」の現象について書いている。
ところで、「ソーシャル疲れ」って何?
鈴木さんによれば、「ソーシャルメディアをしじゅうチェックしていないと不安になるとか、人間関係の維持が面倒になってしまうとか、そういった出来事の総称だと思えばいいだろう。」とのこと。
「ソーシャルメディアの人間関係に疲れてしまうのは、友達がいないからではなく、交友関係が広くて友達が多いからだ。」と指摘する鈴木さん。「友人たちはみな同じように自分の書き込みを読む。それでも私たちは、学生時代の友人と職場の同僚では異なる顔で接しているから、ソーシャルメディア上でもその(相手との付き合い方)使い分けを意識しなければならない。そうしたところに『ソーシャル疲れ』の一因がある。」のだそうです。
※()内は筆者の注釈。
なるほどねぇ...。
まっ、疲れたら、適当に休めばいいんじゃないの?
単純にそう思うんだけど、それができずにいる人たちがいる。
だから、「ソーシャル疲れ」なんて現象が出て来る。
自分の友人たちが今何をしているのか、リアルタイムで知ることもできるソーシャルメディアの特性が、「ユーザーにとってある種の孤立感を生む原因になっているのではないか。」と問題提起する鈴木さん。
「仲間外れ」を感じることによる孤立感のことだ。
いやいや、しかし、それほどまでに“没頭”しなくてもいいんじゃないでしょうかねぇ、と思うんですけど(^_^;)。
便利なツールも、って言うか、便利だからこそ、知らぬ間にはまってしまう恐れがある。
「友だちの動向をしっかり確認しなくちゃ」とか、「この前コメントいただいたから、今度は私がコメント返ししなくちゃ」とか、「あの人たち、今、何やっているんだろう」、「私の書いたことどう思われているんだろう?」...。
「人がどう自分の事を思っているのか?」みたいな反応は、考えれば、きりがない。
みなさん方の動向は気になるけど、知らなきゃ知らないでもそんなに困らない。
ただでさえ面倒くさい人付き合いを、わざわざネット上に抱え込む必要なんてさらさらないと思うんですが...。
開き直って使っていると、「ソーシャル疲れ」なんてほとんど感じない。