「教える」こと。
「答えを知っている人」が、「答えを知らない人」に「答え」まで導く作業は容易じゃない。
仕事でかかわっているインターンシップ事業で、つくづく痛感している。
高校、大学時代を通じ、何人かの後輩たちに、家庭教師の立場で接し、学生の時は何度か教壇に立ち、「先生」を経験した。
何度やっても上手くいかない。
上手くなろう、と心底思うこともなかった。
当然の帰結として、当初予定していた教師になることを早々にあきらめた。
結果、今、新聞社の社員として働いている。
だがしかし、先生にならくとも、何かを教えなければならない機会は必ずある。
「教える」ことは、「教わる」こと同様、たいていの人が避けて通ることのできない場面なのかもしれない。
今回、学生さん方に、取材のイロハを伝えたうえで、記事を書くまでの一応の「記者作業」を「教えている」。
学生さん方一人ひとりがそれぞれに原稿を書き、各グループでそれをまとめて別の1本原稿に仕上げる流れ。
こうやって文章に書くと、いかにも楽勝そうなんですが...。
こちらの思いがなかなか伝わらない。伝わらないから「答え」を教えてしまいそうになる。
教え過ぎても、教えなさ過ぎてもいけない。
そもそも、その中間の位置に、講師役の自分がきちっと陣取れたのか、よくよく分からない。
塩梅が、難しいんだなぁ...。
一応、一番の目的だったグループ原稿は昨日の段階で最終的に仕上げて提出したけど、振り返れば、ちょっと教え過ぎたかもしれない...。
学生さんたちとは全く違った意味合いで、ちょっと反省している。
後の祭り...。
仕事でかかわっているインターンシップ事業で、つくづく痛感している。
高校、大学時代を通じ、何人かの後輩たちに、家庭教師の立場で接し、学生の時は何度か教壇に立ち、「先生」を経験した。
何度やっても上手くいかない。
上手くなろう、と心底思うこともなかった。
当然の帰結として、当初予定していた教師になることを早々にあきらめた。
結果、今、新聞社の社員として働いている。
だがしかし、先生にならくとも、何かを教えなければならない機会は必ずある。
「教える」ことは、「教わる」こと同様、たいていの人が避けて通ることのできない場面なのかもしれない。
今回、学生さん方に、取材のイロハを伝えたうえで、記事を書くまでの一応の「記者作業」を「教えている」。
学生さん方一人ひとりがそれぞれに原稿を書き、各グループでそれをまとめて別の1本原稿に仕上げる流れ。
こうやって文章に書くと、いかにも楽勝そうなんですが...。
こちらの思いがなかなか伝わらない。伝わらないから「答え」を教えてしまいそうになる。
教え過ぎても、教えなさ過ぎてもいけない。
そもそも、その中間の位置に、講師役の自分がきちっと陣取れたのか、よくよく分からない。
塩梅が、難しいんだなぁ...。
一応、一番の目的だったグループ原稿は昨日の段階で最終的に仕上げて提出したけど、振り返れば、ちょっと教え過ぎたかもしれない...。
学生さんたちとは全く違った意味合いで、ちょっと反省している。
後の祭り...。