laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

居心地の良い〝空間〟。

 「こんっちわ〜す。波、いいっすね!」

 海でちょくちょく顔を合わせる彼は、たいていニコニコ顔でこちらにあいさつしてくれる。

 金髪にモヒカンの若い彼。

 震災後によく見掛けるようになり、お互い自然に言葉を交わすようになった。

 とはいえ、名前や素性は全く知らない間柄。

 それで互いに何も困らない。

 30年近く波乗りをしていて、そういう〝間柄の人たち〟が少なからずいる。

 それが自然なサーファーたちのつながり。

 名前など知らなくても、素性など知らなくとも、波に乗ることだけが目的で海に行っているわけだから、波乗りに全く支障はない。

 むしろ、いろいろと知らないほうが都合がいい。

 こういう「顔は知っているけど名前すら知らない」という環境を自分の日常生活に持っているのって、結構いいんじゃないかと前々から思っていた。

 近所の道端で、出会った人に「こんにちは〜」とあいさつするような感覚。知らないふりをするわけでなく、立ち止まってああだこうだと長々しゃべるわけでもなく、あいさつして、ふたことみこと言葉を交わすとてもカジュアルでフレンドリーな付き合い方。

 特に〝肩書で動くことが〟多くなった社会人ぐらいから、良さを感じ始め、最近、それを確信しつつある。だって、社長とか個人経営者じゃないわけだから、プライベートでは極力〝会社の看板〟を外したいわけですよ。

 ただ、年を重ねると、こちらの思いとは裏腹に、肩書を意識しないで行動することを制約される場面が増えてくる。これはまぁ、仕方がないと割り切っていますが。

 プライベートな場でも、ある程度の素性を知らないと会話を進めることができない人ってのも案外少なくないから、正直、面倒なこともあるんですがね。

 海だけじゃなくて、服屋さんやテニスコート、音楽室などにも定期的に出没しているけど、10年以上も言葉を交わしながら互いを全く知らない人たちが、結構いる。

 話は変わるが、そう言えば、2年以上前に「肩書きが物を言わない世界。」などというブログを書いていた。

 このブログは書いた内容より、コメントのやり取りが〝好評〟だったという指摘もございましたが...。

 まっ、そういうことです(←何が(^_^;)