laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

No.460 学生生活って何だろう?

 って、ほぼ四半世紀前に卒業した身には遠いむかしの良き思い出の類なんだが、震災以降継続的にさまざまな学生さんたちと付き合ってきて、いろいろと感じることが多い。   

 つまるところ、タイトルの疑問に行きつく。

 「氷河期」などと呼ばれる時代だから仕方がないのかもしれないが、学生さんたちを取り巻く話題として、就職活動=就活の文字が出ないことがないくらい当たり前の単語として飛び出してくる。

 〝厳しい生存競争〟だから、みなさん必死なのでしょう。

 状況としては、理解できる。

 3年生になった途端に、茶色だった髪を黒毛に戻し、買ったばかりの黒か紺のリクルートスーツに身を固め、企業説明会に熱心に通い、エントリーシートなる履歴書の書き方を研究し、日夜内定を獲得しようと頑張っている。

 頑張りは大いに称えたい。

 「ご苦労さま〜」と直接声掛けすることもたまにある。

 それはそれなんだが、すごく違和感があるのは、大学生活というものの中心に就活があるという雰囲気。言い換えれば、就活するために大学に入る、という雰囲気。

 これって、おかしくないだろうか?

 それとも、そもそも俺の勝手な勘違い?そんな現実はない?そういう時代だから仕方がない?

 おそらく、就職というものは、いつの時代でも学生の関心事だったかと思う。

 でも、学生生活において、最大の関心事であり最も重要な事なんだろうか、それって?

 先日、大学2年の女子と話す機会があり、こんなことを話していた彼女の言葉が印象に残る。

 「大学生活って、就職を目指すためにあるわけじゃないと思うんです。なんだかみんな、そういう方面ばかりに関心がいっているんですが、違うと思うんです、ワタシは。これまで知らなかったこととかを勉強で知ったり、いろいろな活動を通して知識や経験を深めて、人としての幅を広げていく大切な期間だと思うんです。就職するために勉強をするわけではないと思うんです」

 全く同感。

 その通りだと思う。

 彼女のような学生さんもいることに正直ほっとしたし、彼女が身近な学生なので、なおのこと嬉しかった。

 もちろん、学生ばかりを〝責めて〟はいけないと思う。

 社会人の我々も、就活という動きに〝惑わされて〟いないだろうか?

 いっぱしの社会人をきどり、就職とは、企業とは、学生の振る舞いとは.....などということを知らず知らず、あるいは当然のことのように、学生たちに話し掛けてはいないだろうか?

 ↑ものすごく自戒を込めて、しばしば自問している(^_^;)。


 就活があまりにシステマチックなイベントとなり、今や対応のマニュアル本が巷にあふれ、そのノウハウを訳知り顔で語るマニュアル人間の社会人も数多い。

 「なんだかなぁ〜」って思うこのごろ(^_^;)。

 思想家の内山樹さんが、『最終講義』(技術評論社)でこう書いている。

「教育機関の存在理由はひとつしかありません。それは若者たちの知的アクティビティを高めていき、彼らを市民的成熟に導くということに尽くされるわけです。どうすれば若者たちが、知的に高揚するのか、どうすれば霊的に成熟するのか、そのことだけを考えるのが大学の責務だと思う。それ以外のことは論じるに足りないと僕は思っています。」