laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

「贈る」気持ち。

 「20歳で旅に出てから、いろんな場所でたくさんの人たちにお世話になった。今があるのもそんな人たちのおかげ。俺が今こうして仙台にいて、人の手伝いをしているのは、お世話されたという思いがあるから。直接感謝を返す相手は違うんですけど、身の回りの人たちに手を差し伸べるということは、回りまわって今までお世話してくれた人たちへの恩返しになると思っているんですよ」

 昨晩、久しぶりに再会した青年は、酒を酌み交わしながらこう話していた。

 東日本大震災直後に仙台入りし、長期間ボランティア活動をしていた彼。現在は市内で1人暮らししながら、かつてのつながりで支援活動などを続けているという。

 「そもそも、どうしてこういうこと続けているの?」

 そんな問い掛けに、彼が答えた言葉だった。

 自分にも思い当たる。

 大学4年生になる時、1年間休学して旅に出た。行く先々で、いろんな人々に助けてもらった。直接感謝を伝えたこともあるし、それができなかったこともある。助けがなければ、今どうなっていたのか?などと思うことも多々ある。

 袖振り合うも多生の縁という。

 出会いには、それぞれ何らかの縁があるのだと思う。
 
 縁があるのなら、可能な限り、何かをしてあげたい。もちろん、そうならない場合も現実としては少なからずあるのだが(^_^;)。

 思想家の中沢新一さんと内田樹さんは、贈与の大切さをことあるごとに指摘している。

 他人への贈り物は、モノとは限らない。

 優しい言葉を掛けたり、手を差し伸べたり、助けたり...。

 他者をいたわる気持ち。贈与の基底に、それがある。

 冒頭の彼は、こうも話していた。

 「できることからでいいと思うんですよ。そんなに大げさに考えなくとも。身の回りの人に優しく接することを地道に続けていけば、世の中、ちょっとは良くなるんじゃないのかなぁ...」



震災後、ボランティアしていた彼のことを書いたブログはこちら