laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

風の通り道。

 「間近で見ていて、なんだかいいなぁって思いました。風通しがいい職場なんだろうなぁって...」

 ほろ酔いの20代の若者が、そう話していた。

 その数時間前、一緒にいた酒の席での一場面を振り返って。

 知人2人が、とある1件で、言い争っていた。互いに酒が入っている状態。必要以上に声が高くなり、トーンアップして白熱した状況に。2人の関係を全く知らない人々にとっては、ちょっとした諍(いさか)いと映ったかもしれない。

 心配した別の若者が、「大丈夫でしょうか?」と耳打ちしてきた。

 「あぁ、大丈夫です。たまにあることですから」とワタクシ。

 そう言いながら、くだんの若者のように「なんだかいいなぁ」などとほくそ笑んでいた。




 20年以上も前に入社した時、職場のあちこちで、言い争う光景があった。

 さすがに、新入社員の我が身には刺激が強かったが、慣れてしまうと、あんまりどうってことでもなくなってきた。

 言い争うのは、当たり前の光景だった。

 

 今、周りを見渡すと、当たり前だった光景はほとんどない。

 自分が働く職場に限らず、多くの場で、穏やかな時が〝支配〟しているように感じている。

 時代なんでしょう、おそらく。

 技術革新が進み、組織の合理化が進められ、人々が直接対話せずとも仕事が進められる環境にある現代。

 知らず知らずのうちに「ガサツな事」がそぎ落とされ、一見すると「スマートな事」が説得力を高めている。

 「果たして、それでいいのかなぁ」などとこの10年ぐらい断片的に思っていたので、久々の「当たり前の光景」を、懐かしくも楽しげに見つめている自分がいた。

 お世辞なのかもしれないけど、その場を好意的に受け止めた若者がいるということが、なんとなく嬉しい。

 避けられるのであれば、諍いは避けたほうがいいのだろう。

 しかし、時にそうもいかないのが現実だ。

 始まってしまった諍いの治め方はもちろん大事だが、〝正論〟めいた理屈をつけて始まる前にその現実自体を見ないふりする風潮を危ぶむ。

 「暴風」や「突風」を警戒するあまり、「微風」「そよ風」の類まで未然に止めてしまうのでは、息苦しいだけだろう。

 吹く風をうまく受け止める度量の広さと、巧みにかわす身のこなし方が大事なんだろうなぁ...。