laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

自己責任。

 かつてこの言葉を、この国で、流行り言葉のようにしばしば耳にすることがあった。

 対象となった人への非難の言葉の意味に転嫁された結果、何だかもやもやのまま人々の関心が急激に下がった、ように記憶している。

 その後、なにもかもなかったかのように戻った日常.....。

 インドネシアのバンダ・アチェで、目の前の青年は、冷静にこう話した。

 「政府が、ここに住むことを規制したり、禁止したりすることなんて完全にできるわけがない。ここは我々の土地だ。先祖から受け継いだ土地だ。それを奪うことは誰にもできない。我々はここに住んで暮らしたいからここにいるだけ。津波?あんな大きな津波が今すぐ来るわけないだろ。来たとしても、また逃げればいいんだ。
 とにかく、我々がここに暮らすことは当たり前のことなんだよ」





 津波で甚大な被害を受けたスマトラ沖地震の震災から9年以上が過ぎ去った。青年は、目の前に青く透き通ったアンダマン海が広がる河口沿いに建て直されたバラック小屋で暮らす漁師の親戚だという。





 辺りを見回すと、同じような建物が川に沿って点在している。

 暮らしているその場所から、手の届くような距離で川が流れ、浅瀬では子どもたちが水遊びに興じている。

 海はすぐそこ。津波で破壊されただろう堤防の残骸や防砂林がポツリポツリと目に付く。河口の地形は津波で大きく変形したという。

 津波が再び襲って来たとしたら、間違いなく危険区域となるこの場所は、平穏な海である限り、素朴ながらも静かで快適に人々が暮らしているのどかな水辺の村だ。





 「自分たちの命は自分たちで守る」

 男は、こうも言った。

 この辺りはプレートの関係で地震が起きやすい。

 またいつの日か、人々の暮らしが津波にさらされる危険を常に抱えている。





 それは、日本も同じこと。

 少なくとも、アチェで訪れた場所の周辺のビーチで、消波ブロックだとか高い堤防といったコンクリート製の建造物を見かけなかった。日本では当たり前の光景になっているが...。

 沖ではきれいな波が割れ、彼方に地平線が広がっている。

 「暮らしたいから暮らすんだ。それを止めることは誰にもできない」

 じっとこちらの目を見つめながら話していた青年の言葉が、忘れられない。



 「守ってもらう」と考えるのか、それとも「自分たちで守る」と自覚するのか。


 南の国で、そんなことを思った...。