laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

話しても分からない。

 話せば分かる。

 結構長いこと、そう信じてきた。実際、そういう場面も多かった。

 年を重ねるにつれ、その思いが揺らいできた。

 今では、それが幻想なんだと言える。

 話しても分かりあえない場合は確実にある。どんなに話したとしても...。

 それは、残念なことなのか。不幸なことなのか。はたまた、諦めなのか...。

 しょうがないよね。っと、気持ちを切り替えている。

 いくら話を尽くしても(少なくとも本人はそう思い込んでいる)、相手に話が通じないんだから。そりゃ、しょうがないでしょ(^_^;)。

 そんな気分を代弁してくるような1冊の本に出合った。

 「ていねいなのに伝わらない『話せばわかる』症候群」

 日本教育大学院大学客員教授の北川達夫さんと劇作家平田オリザさんの対談集。平田さんは、いわゆるコミュニケーション論的な本を出していて、何冊か読んでいたが、北川さんは初めて。対話教育の実践者らしく、言葉に説得力がある。





 印象的な言葉を列記してみる。


 「価値観というものは、ある国や集団の文化の影響を受けながらも、その個人が自分で判断したり経験したりするなかで育てられていくものだということ、したがって、どんな集団や社会にも、いろいろな価値観を持った人がいるんだということを前提として教育を考えていかなければならない。」(北川さん)


 「相手が自分より立場が弱かったり、経験が少なかったりするような場合に、その相手の意見を押さえつけるような発言をしたり、意見をまったく聞かなかったりという、コミュニケーション能力の乏しさでいえば、日本では、いまの子どもよりも、中高年の男性たちに問題があると思いますね。」(平田さん)


 「とくに経験というのはやっかいですね。その人にとってはまちがいなく事実であり、絶対的な真実と思い込みやすいですから。でも、自分の経験だけを意見の根拠にするのは危ないんです。その経験がすべてに当てはまるはずはないし、他人にはその人の経験を評価しようもない。だから、『自分の経験では・・・』と得々と語る人はよくいますけれど、そういう人とでは議論が成り立たないんです。」(北川さん)


 「ぼくはよく、コミュニケーション観の転換が必要だという話のときに、これからの社会のキーフレーズは『協調性から社交性へ』ですって言うんですけれども、社交性というのは『人間同士はわかり合えない、わかり合えない人間同士だけれども、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げてなんとかうまくやっていけばいいじゃないか』という考え方を基本とするものだと思っています。」(平田さん)


 いろいろと示唆に富む。

 リアルな関係でもそうなのだから、ある意味一方的に言葉を交わすことしかできないネット空間での〝話し合い〟は当然と言えば当然、分かり合えるはずがない。

 そもそも、分かり合うことを前提に他人と言葉を交わすことが間違いなのだろう。

 「分かり合う」のではなく、「分かり合わないけど、とりあえず、互いに耳を傾け合う」ぐらいでいい。幻想だという認識があると、必要以上に他人に期待しなくなる。。。