laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

揚げ足とって、その先は...。

 ネット上の言い争いは、たいがいが不毛に終わってしまう。

 なんでだろ?

 言い間違いや言葉じりをとらえ、あぁだこうだ言って何が楽しいのだろう?

 匿名性が前提であってもなくても、言葉の暴力はなくならない。突如出現する罵詈雑言の類い。

 救いようがないよね、ホント。救いようがない.....。

 読み終ったばかりの本を再読しながら、思う。

 作家の橋口いくよが口火を切る。

「先日、国会中継を見ていたら、政治家たちが突然クイズみたいな質問をあれこれして、答えられない人の揚げ足をとっていました。あれって、今ネットの中で、人々が揚げ足のとりあいになっていることと、変わらないなと思ったんです。そもそも、揚げ足をとる人ってどういうタイプの人に多いんでしょうか。最近、すごく増えている気がするんです。」

 「自分の論理だけを信じる、あるいは、他者の論理を入れることが怖くてしょうがない人。」

 そう答えた精神科医の名越康文はこう続ける。

 「言葉って、ある種すごく攻撃的なもんじゃないですか。僕は言葉を使う職業だからということもあって、自戒の念も込めて言いますけど、言葉は本質的に絶対、攻撃性のあるものなんですよ。そしてその攻撃性に目覚めている人しか言葉の建設性に気づけないんだっていうのが僕の実感。」

 思想家の内田樹が続く。

 「ツイッターやってると、時々リプライでさ、僕のところにも見ず知らずの人から来ることあるけれど、批判的なものの九十九パーセントは揚げ足とりだね。僕の文章のある部分を取り上げて、『これは変だ』っていいがかりをつけてくる。あのね、オレはそんなこと言ってないんだよって説明するためには、もう一回初めから全部言わないといけない。でも、何度やっても結局同じように、自分の都合で部分的に切り刻んで『おまえはこう言っている』と断定してくるんだから、やるだけ無駄なんだよ。自分に飲み込めないところは全部はじき飛ばして、わかるところだけ取り上げて、『ウチダはこういう考えだ』と決めつける。あの狭さとかかたくなさって、何なんだろうね。」

 






 この本の「おわりに」で、内田はこう書いている。

 「日本人が『見ず知らずの人』に対して、これほど攻撃的な言葉を吐きつけるようになったのは有史以来初めてのことだと思います。」


 多かれ少なかれ、ネットを利用している皆さん方もいくつか思い当たる節があるのではないでしょうか?

 このところ、「情報発信」に特化したブログサイトの構築を職場で模索している。期待しているのは、さまざまなトピックスに対して、建設的な意見が飛び交って行くようなイメージなのだが、上記のようなことがどうしても頭から離れない。

 いわゆる“問題児”というのはどこにでもいて、サイト上でも数にしたら全体のごくごくわずかなのだが、そのわずかな問題児が及ぼす悪影響は侮れない。相手にしたら、してやったりなのだろうが...。

 自分勝手きわまりないこういう輩たちに上手く対峙してご退場いただくベストな方法って、果たしてあるんでしょうか?

 まともに向き合わないほうがいいんですね。無視する以外にない、というのが現状での答なんですが...。