laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

父として...。

 面識もないので言葉を交わしたことはもちろんない。

 全くの他人さまなのに、すごく気になって仕方がない。

 ご家族が見舞われた悲劇を思うと、辛い、辛すぎる...。

 カッパドキアで殺害された栗原舞さんの実家は、自分が住む住宅街にある。

 近隣住民としての感情なのか、同じ娘を持つ父としてなのか、その父と年齢が近いからなのか...。はっきりした理由は自分でもよく分からないけど、とにかく、気になって仕方がない。

 気になるというより、落ち込みがひどい。。。

 「もしも、自分の娘だったら...」

 不謹慎にもそんなことを考えている。

 東日本大震災の惨事を地元で経験してからというものの、無意識にそれまで「他人事」のように思っていたいろんな不幸な事柄に対して、「自分が当事者だったらどうなのか?」というように考えるようになった。


 今回の悲劇もそう。


 ここ最近、自分の娘の顔を見ていると、会ったこともない栗原舞さんの顔がダブってしまう...。






 悲しいことだけど、人は必ず死ぬ。






 それを頭で分かっていても、感情が、さまざまな思いが、宿命を素直に受け入れさせないのが人の性なのかもしれない...。



 まして、殺人であったらなおさらのことだろう...。



 昨日の河北新報朝刊に、その前日に営まれた舞さんの葬儀で喪主を務めた父親満宏さんのあいさつの要旨が掲載されていた。

 こちら


 短い言葉の中に、これまでの家族の思い出を語る父は、最後にこう締めくくっている。

「長女 栗原舞は平成25年9月9日、22歳でトルコの地にて私たちを照らす星明かりの一つになりました。

 共に学び、共に笑い、舞と素晴らしい時間を分かち合ってくださった全ての皆さまへ、家族一同深く感謝申し上げます。」


 どれほど無念だったか...。

 要旨には、犯人に対する憎しみや怒りなどの感情がひと言も書いていない。

 実際の葬儀で、そうした言葉を口にしたかは定かでない。

 定かでないのだが、新聞に掲載された文章を読むと、感情を抑えた淡々とした文が、あまりに冷静であるため、隠された激しい感情を想像しないわけにはいかない。


 すごく、胸が詰まってしまう...。







 もし、自分の娘が、妻が、肉親が、見知らぬ男に殺されたとしたら...。




 自分は果して、これほどに冷静な文章を書けるのだろうか...。