laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

遠くはない非現実的な営み...。

 「なぜ?」を問いただしてみたところで納得のいく答えは出ないのだと思う。


 しかし、「なぜ?」を問わないわけにはいかない。


 「責任の所在」を突き止めなければやりきれないから。


 その所在が分かったところで、現状が大きく変わるわけはないと知りながらも...。

 
 「なぜ?」に、「答え」などというものは限りなくないに等しくも...。


 あるのは、全く望みもしなかった「好まざる状況」に直面し続けていかなくてはいけないという現実。

 幻でも夢でもない。

 何年続くかさえ分からない。



 自分が住む南隣の福島に暮らす大勢の人たちの状況ってこんなだろうか?



 

 多感だった10代の半ば。

 思い描くのは、これから切り開いていくだろう自分の将来だった。

 不安だったし、未知だったし、楽しみでもあった。

 「夢」といっては大げさだが、進む方向性にかすかながらも光を見ていた。

 今から30年以上も前の話だ。






 東日本大震災後、今、福島に暮らす10代の子たちの思いはいかばかりなんだろう?




 『デイジー〜3・11 女子高生たちの選択』ももち麗子 講談社)は、実際にフクシマで生活する人々に取材し、実情を反映する形で描いた漫画だ。

 希望が閉ざされてしまった状況の中でも、かすかな光を見出して前に進もうとする彼女たち。

 こういう話を読むと、特段の苦労もなく平穏な日々を送りながらつまらないことにいちいち不平不満を言い募っている自分が、とても恥ずかしくなってしまう...。


 漫画から教えられることは少なくない...。