文通。
小学生の時、好きな女の子と交換日記をしていた。
中学生となり、、一枚のノートにいろいろな思いを綴って、毎日のように渡し合っていた。
高校生ぐらいからはもっぱら電話。相手方のお父さんやお母さん、姉妹兄弟の存在を気にしながら会話していた。
懐かしいなぁ〜。
40代も後半に差し掛かり、再び「文通」をやっている今日この頃。
文通とはいっても、手紙のやり取りではなく、ブログやフェイスブック内のメールのやり取り。
私的な内容なので、公開せずに非公開。お互いだけのやり取りだ。
「なんだかいいな」、と思っている。
喜びもあれば、悲しみもあり、共感もあれば、反論もある。
文字で交わす会話には、ライブ的なチャットでもない限り時間的空白が生まれる。
相手に言いたいこと、伝えたいことを、相手の顔や表情、思いなどを想像しながら書く余裕がある。
それが、いい。
直接話すリアルの会話もいいけど、リアルでないメリットというものを大切にしたいと思っている。
繋がっていることの安心感というか、温かい空気感というのか...。何だかじわっと感じるようになってきた。
それぞれの文面を読みながら、そんなことを感じている。
中学生となり、、一枚のノートにいろいろな思いを綴って、毎日のように渡し合っていた。
高校生ぐらいからはもっぱら電話。相手方のお父さんやお母さん、姉妹兄弟の存在を気にしながら会話していた。
懐かしいなぁ〜。
40代も後半に差し掛かり、再び「文通」をやっている今日この頃。
文通とはいっても、手紙のやり取りではなく、ブログやフェイスブック内のメールのやり取り。
私的な内容なので、公開せずに非公開。お互いだけのやり取りだ。
「なんだかいいな」、と思っている。
喜びもあれば、悲しみもあり、共感もあれば、反論もある。
文字で交わす会話には、ライブ的なチャットでもない限り時間的空白が生まれる。
相手に言いたいこと、伝えたいことを、相手の顔や表情、思いなどを想像しながら書く余裕がある。
それが、いい。
直接話すリアルの会話もいいけど、リアルでないメリットというものを大切にしたいと思っている。
繋がっていることの安心感というか、温かい空気感というのか...。何だかじわっと感じるようになってきた。
それぞれの文面を読みながら、そんなことを感じている。