laid back

ほかから移ってきました。日々、思うところ感じるところを気ままにつらつらと。

本音って?

 昨日書いたブログに寄せられたコメントを読んで感じ入った。

 ブログやコメントに本音を書くことについてのそれぞれの思いが、共通して否定的だということについて。

 確かに書いているワタクシ自身にも思い当たる。

 だれもが、本音をほぼネガティブなこととしてとらえている。

 よく言われる話だが、この国では「本音」と「建前」の使い分けでコミュニケーションが図られている。よくよく親しい間柄でも「本音」を明かす時は細心の注意を要しなければいけない、などと脅し文句のような講釈をたれる方々もいらっしゃる。

 でも、ホントなのそれ?

 正しいの?

 マジ?


 本音も建前も時に必要だし、時に不必要だと思っている。

 要は、双方の使い方を上手にこなせばいいんじゃないでしょうか?

 まぁ、アンタ、それが難しいのよ! という声があちらこちらから聞こえてきそうですが(^_^;)


 基本、本音を話さないタイプの人間は信用しないことにしている。

 一応、社会人なのでいろんな人とは付き合っているけど、少なからずの人たちが信用できないタイプだと思っている。←これが「本音」です。


 リアルでもネットでもその思いにあまり変わりはない。

 ただ、ネットでは匿名の方々とのやり取りが少なくなく、その人となりさえ知らない場合があるので、いろんな意味でいろんなことを考えながら言葉のやり取りをしなくてはいけない面倒は確かにある。

 不平不満や愚痴だけが「本音」ではないと思っている。

 そもそも、「本音」と「建前」という構図のようなものが今よりずっと穏やかに、人々の意識の中からちょっとずつフェイドアウトしていったらなんだかいい環境になるんじゃないかなぁ〜なんて考えている。

 どないなもんでしょ?

 まっ、そんな急激な変化はもちろん望んじゃいないんだけど。。。

忘れたころにやって来る...。

 なぜか、3年ぐらい前に書いたブログに、不定期でコメントが入ってくる。

 まぁ、タイトルがタイトルだからでしょうか。

 「『うちの愚妻が.....』と表現する人たち。」だもんなぁ。自分でも笑ってしまう(^_^;)。


 書いたばかりのブログにコメントが入るのはもちろん嬉しいが、こういうふうに書いた本人もその存在をほとんど忘れかけたブログに反応があるのは興味深い。

 読み返してみると、何かと新たな発見などもあって面白く、書いた文章よりずらっと並んだコメントがこれまた新鮮な響きをもってこちらにメッセージを投げ掛けてくる。

 望まないコメントをとことん嫌うブロガーの方々がいますが、ワタクシ、基本的にどんなコメントでもオッケーです。

 たまに気持ちを逆なでするような言葉をよこしてくださる向きもありますが、そもそも自分がブログを書いて公開した時点で、その可能性は受け入れなくてはいけないと思うので、素直に耳を傾けるようにしています、一応は。

 コメントのやり取りについて、前々から“不完全燃焼”の心持ちでいる。

 ブログだと、特にここ「ふらっと」だと、同じ人と2回以上続く場合はあまりなく、3回以上はほとんどなく、数少ないやり取りのケースはほとんど相手が“ケンカを売ってくる”場合にほとんど限られている。

 何でかなぁ〜?

 たいていのコメントのやり取りは、どうしても儀礼的になりがちで、相手の本音もこちらの本音も書きづらい。書きづらいから書かないので、結局、常に表面的になる。

 うん、これはこれでいいのかもしれないが、正直、物足りない思いを抱いている。

 自分の考えを他人さまに理解していただくのは、場合によっては非常に厄介なことで、容易じゃない。容易じゃないからやり取りを続けなくちゃお互いをうまく理解し合えないんだけど、これが続かない。いや、続けづらいのか?


 う〜ん、難しいなぁ...。


 つらつらと駄文を書き連ね続けてきて、忘れたころにやって来るコメントにちょっぴりドキドキ、嬉しい気分になっている。

気持ちの交流。

 このところ通い続けているサーフスポットは、そこにたどり着くまで川を渡ってちょいと歩き、比較的長い距離をパドリングしなくてはいけない。

 昨日、今日のように台風の強いうねりが届くような状況だと、波をつかまえる沖のポイントまで行くのに10〜15分ぐらいかかってしまう。

 結構、めんどいんです。

 そういう場所だから、平日の朝イチはサーファーが少なく、すぐ顔なじみになる場合が多い。

 通い出してからわずか2回目で声を掛けてくれたSさんは、最初に知り合ったローカルサーファーだ。たまたま共通の知人がいたことから声を掛けてくれたんだけど、毎回、会うたび、とびきりの笑顔であいさつしてくれる。

 「おはようさ〜ん!」「どう、今日の波?」「う〜ん、今日もいいねぇ〜」...。いつも他愛無い言葉のやり取りで、そこから深い会話に続くわけでもない。

 でも、なんかいい。

 ほかの人たちも、目が合えば頭を下げ合ったり、「こんにちは」と言い合ったり、とにかく感じがいい場合が多い。

 いいなぁ〜、って思うわけですよ。



 っというのも、今の時代、見知らぬ人に声を掛けたりあいさつすることが極端に少なくなっているなぁって感じているもんだから、こういう海での些細なことに心が和む。

 震災直後、サーファーの姿がほとんど消えた海に再び通い始めたころ、集まる面子が少なく、すぐに顔なじみになった。その当時も同じような気持ちの交流みたいなことがわりとあった。

 でも、現在のように海にやって来るサーファーの数が多くなりすぎると、みんなそういう余裕がなくなってしまう。仙台新港で波乗りすると、すぐ近くにいるサーファーに話し掛けている暇があったら1本でも多く波を“奪ってやる”というぎすぎすした心理が働いてしまう。

 そういうのが嫌で苦手だから、たくさんのサーファーが集まる新港から遠ざかり、閖上に通っているのかもしれない。もちろん、波もいいから通うわけだけど。

 願わくば、まったりゆったりした今の雰囲気が当面続いてくれたらいいなぁ。

遠くはない非現実的な営み...。

 「なぜ?」を問いただしてみたところで納得のいく答えは出ないのだと思う。


 しかし、「なぜ?」を問わないわけにはいかない。


 「責任の所在」を突き止めなければやりきれないから。


 その所在が分かったところで、現状が大きく変わるわけはないと知りながらも...。

 
 「なぜ?」に、「答え」などというものは限りなくないに等しくも...。


 あるのは、全く望みもしなかった「好まざる状況」に直面し続けていかなくてはいけないという現実。

 幻でも夢でもない。

 何年続くかさえ分からない。



 自分が住む南隣の福島に暮らす大勢の人たちの状況ってこんなだろうか?



 

 多感だった10代の半ば。

 思い描くのは、これから切り開いていくだろう自分の将来だった。

 不安だったし、未知だったし、楽しみでもあった。

 「夢」といっては大げさだが、進む方向性にかすかながらも光を見ていた。

 今から30年以上も前の話だ。






 東日本大震災後、今、福島に暮らす10代の子たちの思いはいかばかりなんだろう?




 『デイジー〜3・11 女子高生たちの選択』ももち麗子 講談社)は、実際にフクシマで生活する人々に取材し、実情を反映する形で描いた漫画だ。

 希望が閉ざされてしまった状況の中でも、かすかな光を見出して前に進もうとする彼女たち。

 こういう話を読むと、特段の苦労もなく平穏な日々を送りながらつまらないことにいちいち不平不満を言い募っている自分が、とても恥ずかしくなってしまう...。


 漫画から教えられることは少なくない...。

父として...。

 面識もないので言葉を交わしたことはもちろんない。

 全くの他人さまなのに、すごく気になって仕方がない。

 ご家族が見舞われた悲劇を思うと、辛い、辛すぎる...。

 カッパドキアで殺害された栗原舞さんの実家は、自分が住む住宅街にある。

 近隣住民としての感情なのか、同じ娘を持つ父としてなのか、その父と年齢が近いからなのか...。はっきりした理由は自分でもよく分からないけど、とにかく、気になって仕方がない。

 気になるというより、落ち込みがひどい。。。

 「もしも、自分の娘だったら...」

 不謹慎にもそんなことを考えている。

 東日本大震災の惨事を地元で経験してからというものの、無意識にそれまで「他人事」のように思っていたいろんな不幸な事柄に対して、「自分が当事者だったらどうなのか?」というように考えるようになった。


 今回の悲劇もそう。


 ここ最近、自分の娘の顔を見ていると、会ったこともない栗原舞さんの顔がダブってしまう...。






 悲しいことだけど、人は必ず死ぬ。






 それを頭で分かっていても、感情が、さまざまな思いが、宿命を素直に受け入れさせないのが人の性なのかもしれない...。



 まして、殺人であったらなおさらのことだろう...。



 昨日の河北新報朝刊に、その前日に営まれた舞さんの葬儀で喪主を務めた父親満宏さんのあいさつの要旨が掲載されていた。

 こちら


 短い言葉の中に、これまでの家族の思い出を語る父は、最後にこう締めくくっている。

「長女 栗原舞は平成25年9月9日、22歳でトルコの地にて私たちを照らす星明かりの一つになりました。

 共に学び、共に笑い、舞と素晴らしい時間を分かち合ってくださった全ての皆さまへ、家族一同深く感謝申し上げます。」


 どれほど無念だったか...。

 要旨には、犯人に対する憎しみや怒りなどの感情がひと言も書いていない。

 実際の葬儀で、そうした言葉を口にしたかは定かでない。

 定かでないのだが、新聞に掲載された文章を読むと、感情を抑えた淡々とした文が、あまりに冷静であるため、隠された激しい感情を想像しないわけにはいかない。


 すごく、胸が詰まってしまう...。







 もし、自分の娘が、妻が、肉親が、見知らぬ男に殺されたとしたら...。




 自分は果して、これほどに冷静な文章を書けるのだろうか...。

“おばはん”な世界...。

 「女」を3つ並べると「かしましい」。「女三人寄れば姦しい」ということわざもある。

 具体的な代表格は“おばはん”と称される方々だろう。

 同年代では酔っ払った中高年サラリーマンもうるささに引けを取らないが、とにかく、「やかましいわい!」と言ってやりたい気分になったことは1度や2度ではない。

 それほどに、うるさい。

 そんなおばはん方がたまにいる。

 


 最近、フェイスブックを見ていて感じるのは、似たような感覚というか感性というか趣向というかが案外多いなぁってこと。

 “おばはん気質”とでも言いましょうか。

 「ねぇねぇ、あんた、見てよ、見て。ほらほら。もう、こんなにすごいんだから〜。キャー、なによこれ〜。ガハハハ.....」

 みたいな。


 自己顕示欲っていうのかなぁ、自己アピールみたいな空気感がすごくないですか?


 なんでそんなに事細かに自分の行動を他人に開示しちゃっているんだろう。欲とか恋とか...。


 決して謙虚でも内向きでも静かな人間でもなく、どちらかと言えば目立つのが嫌いではない性格な俺ですが...たまについていけなくなる。


 “おばはん”の匂いがプンプン充満している空気に長時間接していると、さすがに息苦しくなってくる。

 そりゃ、オジサンがたも別の意味で臭いけどさ...(^_^;)。


 追伸:特定の方を想定した意味合いではありません。あくまで、比喩ですから。もちろん、差別的な意味合いも意図しておりません。

No.510 素直に喜べない.....。

 2020年の「東京五輪」が決まり、またひとつ、澱のような憂鬱な感情を改めて抱いている。

 この国の代表である安倍さんは、国際オリンピック委員会の総会でこう発言した

 「東京は世界で最も安全な都市の一つだ。それは今でも、2020年でも一緒だ。懸念を持つ人もいるだろうが、東京電力福島第1原発について私は皆さんに約束する。状況はコントロールされている。決して東京にダメージを与えない。オリンピックが安全に行われることを保証する。財政的にも整っている。

 開催地に東京を選べばオリンピックムーブメントに新たな強い息吹を吹き込むことになる。IOCと力を合わせ、世界をよりよい場所にしていこうと思っている。

 (汚染水問題は)結論から言って全く問題ない。事実を見てほしい。汚染水による影響は福島第1原発の港湾内の0.3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている。」

 先日も東京招致委員会の竹田恒和理事長が、「福島とは離れている。東京は安全だ」と発言し、東京電力福島第1原発事故に苦しむ福島県民たちから反発の声が起きたばかり。

 安倍さんの発言は、これと何ら変わりがない。

 要するに、東京が良ければそれでいいのである。「東京で潤い、その波及効果が東北などの地方都市に及べばいいなぁ〜」という感覚なんだろうと思う。

 1964年開催以来2度目の東京五輪を、前回と重ね合わせる経済人が多いようだが、「戦争からの復興」は全国民な関心だったが、「震災からの復興」はそうではない。

 2年半を迎えようとする今では、「風化した出来事」と感じている国民のほうが多いのではないか?

 五輪開催で経済が活性化し、各種スポーツ競技の向上が図られることを否定するつもりはない。

 「未来を担う子供たちのために夢と希望を与え、被災地の復興をさらに加速させていきます。」

 同じように「東京は安全」と繰り返していた東京知事の猪瀬さんは、今朝、このようなコメントを出した

 本当か?重箱の隅をつつくようで申し訳ないが、「被災地の復興をさらに加速させる」のは、東京都知事の直接的な仕事でも役割りでもない。上から目線のリップサービスと、「これは言っておいたほうがいいはずだ」との下心の配慮に聞こえしまう。

 開催決定を喜ぶのは勝手だが、汚染水問題の抜本的な解決は糸口すら見えず、復興は緒に就いたばかり。その間、原発を抱える電力各社は再稼働を目指し、政府はそれを容認するような動きを見せ、平和憲法を改正しようと画策し...。

 祝賀ムードの根底にあるのは、経済資本至上主義と保守主義なんだと思う。

 東日本大震災で停滞してしまったその方向性の実現を目指す動きが、東京五輪開催決定という〝浮かれた〟空気に乗って強まってくるのではないか?

 考えすぎ、ではないと思う。


 2020年まであと7年。震災後10年すらたたない。

 喜びの熱気に便乗した政治的な動きが、この間、静まることはないだろう。

 願わくば、関係者の皆さん方には、政治的にも経済的にも〝都合が悪いこと〟に蓋をせず、課題にまともとに取り組み、7年後の開催日には、世界各国から「あぁ、日本はこの日までにまともに取り組んできたんだなぁ」と称賛されるようであってほしい。つくづく、ホントに......。


 東京五輪開催が決まる2日前、思想家の内田樹さんはこうつづっている

 「東電と安倍政府がどれほど国際社会から信頼されていないか、私たちは知らされていない。
 汚染水の漏洩で海洋汚染が今も進行しているとき、世界の科学者の知恵を結集して対応策を講ずべきときに、日本政府は五輪招致と米軍のシリア攻撃への『理解をしめす』ことの方が優先順位の高い課題だと信じている。」

 喜んでばかりいるわけにはいかないだろう...。